先ごろから「8050問題」に伴うことを色々な記事で見かける。おじさん家(ち)では9060問題となる。10年ずつスライドしたようなものであるが、意味合いが大きく変わるところと 完全に一致する部分がある。
大勢では8050(はちまる・ごうまる)問題とは、80代の親が50代の子どもの生活を支えるために 経済的にも精神的にも強い負担を請け持つという社会問題のことをいう。 子供が自立した生活を送れず、80代の親の年金を頼りに生活しているケースとされる。
しかし 近年では子供が50代で老親の介護のため、子供の家庭と仕事が板挟みとなり、脱サラなどで困窮した生活を送っている方も少なくないようである。前の50代親の年金を当てにするのと逆現象である。
9060問題は子供にとっては 会社退職後のケースが多く、また家庭的にも子供の教育・養育などが終わり、余力が生まれる時期なので比較的問題はない。難点は介護が老々介護化していることである。人生100年時代が来ていることを考えると更に老々介護の高齢化が見込まれる。
おじさんは 何れも長寿化による世代間の引継ぎが上手くいかないことが、原因の現象と思っている。これらのケースで最も問題になるのは、子供の自立が出来ない場合と思われる。ここに老々介護がくれば更に不幸は増す。親の衰えや病気による親子共倒れが懸念される。
長年引きこもる子供とそれを支える親などの論点から2010年代以降の日本に発生している中高年齢者の引きこもりに関する社会問題である。背景には家庭内扶養問題がある。子供の引きこもりを在宅介護問題と書くのもいかがなものかと思い家庭内扶養としたが、実態は介護と同等の行為である。
企業の多くは生き残りをかけ、リストラや非正規雇用の活用などコスト削減に踏み切りました。限られた人員・予算で成果を上げるために従業員はノルマや超過勤務を強いられ、ますます労働環境は悪化した。就職でも多くの場合 非正規など 社会人として最初から就職者に負担を強いたことが多かったと思う。
パワハラやセクハラなどハラスメントも起こりやすくなり、そこで傷つけられた人たちは攻撃やストレスから自分の身を守るためにも、自宅にこもるという選択を取った場合などが現在を生んだ。もちろん ひきこもる原因は人それぞれ違うので一概には言えない。
だがこれらの現象を考えた時 若い方が無理な要求をされて断る、居直るなどが出来なかったり、周囲に助けを求めず、単独で抱えて苦しんでいるように思う。おじさんは 順風満帆な子供時代を過ごした故の事が遠因と思っている。親・兄弟に恵まれ 育ちが良すぎるのである。
悪い子に育てろとは思わないが、やられたらやり返すと言う子供同士の自然と思える喧嘩に 大人の知恵を適用して裁くことはやめた方が良いと思う。子供同士の喧嘩 大怪我になりにくいことを考えれば半ば自然でも良いと おじさんは思っている。子供の頃は 喧嘩しても良いが・・中学生以上になってやれば 下手すれば殺人に至る恐れもある。大人の知恵を教えるのは 小学校の高学年からと思っている。
子供同士で喧嘩して 負けて先生・親に言いつけに走るのもいる。それでも 自然に自制するだけでは済まない場合の行動を体得する。
おじさんの子供が覚えているか?いないか?解からないが、顔に傷を付けられ帰って来た子供に「やり返したか?」と聞く親であった。そして手出ししなかったと聞いて「やり返して来い」とは伝えた。翌日 やり返したことを少し嬉しそうに話していた。もちろん やり返して相手の親が怒鳴り込んでくれば、大人として話し合えばよいと思っていた。そして子供の喧嘩に顔出す親なら 大したことはないと思っていた。
子供は自然に育てば良い。小さな経験が 大人になって社会に出た時に対応できる力となると思っている。
今 引きこもりとなっている方は 一度は勤めらえた方も多いので 半ば世間を知っているとは思う。それでも 現状を脱出しないことを選んだ以上は 親の死後どうなるかについては考えて置く方が良い。
生活保護を求めるなどと言い出すようでは・・人は懸命に努力する人間には手を差し伸べるが、それ以外には厳しい。傷つき疲れた人間でも多く集まれば・・次の世界を作れるかもしれない。お互いが助け合いながら生きるのが人間社会である。そんな社会での生き方の基本スタンスが解からないのでは・・復帰することは無理である。
生活保護では 好きに自由に生きることを最初から捨てなければならない。人に管理されて・・そんな人生クソ面白くもない! おじさんは 嫌です!
本日は大晦日。今年一年の反省と新たな覚悟と希望を持ちつつ新年を迎えたい!
良いお年を お迎えください。