おじさんは本人が希望する限りは、大学には行くべきと思う。おじさんの育った時代は 女性は4年制大学など行かず・・高卒・就職・25歳までに結婚といった流れが大半であった。近年では大学生の50%弱が女性となっている。
おじさんの若い頃 叔父は従姉に短大卒は花嫁道具と言うような話をしていた。従姉は その意思を汲んで幼稚・保育関係に進み資格を取り、長く市内の保育所に勤め 園長などをしていたが・・・楽しみにしていた老後は すい臓ガンで退職後2年で幕を閉じた。そんな身近な人生を見てたので、年寄りと言わず人が好きに生きることは 大事なことと思っている。
またおじさんの姉も専門学校卒であったが、子供が大学在学中 通信制とスクーリングで大学を卒業した。スクーリングには子供のマンションを利用したとのことである。大学に行きたければ 本人の意志と努力そして方法を考え、お金などの工夫すれば可能と思っている。
おじさん自身も今と違い選ぶコースあるいは進みたいコースは大学・学部数・定員が少なく、入試は現在よりも入試学部・枠数と受験者数の割合は現在より厳しく、本当の意味で「狭き門」と呼べる世界であった。進学する人数も少なかったが、おじさんより4歳ほど上の方は学年の人数が多く新設もほとんどなかったので、最も厳しかったと思っている。
おじさんの時代から「偏差値」が導入されだしたが、基本的に模試試験で受験予定大学の合否の判定程度にしか利用していなかった。共通一次と呼ばれたセンター試験の前段階の全国大学入試試験もなかった。従って受験生を振り分けるようなこともないため、大学受験では大きく異なった成績の異なった者が同じ試験会場で競合する、いわば玉石混交状態が常であった。
極端な話 おじさんの同級生などで 校内模試などでは成績が下位であり、科目を絞った私立受験が合格していたので、東大・京大を記念受験する同級生も多かった。ところがどこで間違たのか?一発勝負は怖ろしいもので、東大・京大に合格してしまったのが多い。東大の問題は素直で良い・・数学100点 英語100点のはずと高言していたことを思い出す。昔の制度は「得手に帆掛けて」と言った許容範囲の広さと緩さがあった。京大も傾斜配点と言う要素も大きかった。
そんなことを見てきているので、子供がセンターで・・ランキングどうこうと言っているのを聞いて、見かけの位(くらい)などに惑わされ まとまり過ぎと思った。共通試験評価の弱点であると思っている。たかが2点3点の差 試験会場でひっくり返らぬ訳がないと思わないのか?と疑問に思ってしまった。
授業料無しと言えば おじさんの時代には防衛大・海保などがあった。まだ自治医科・防衛医大などはなかったが、授業料免除・住居・食事・奨学金ありの大学は存在した。おじさんも防衛大を受験したが・・事前に身元などが確認されて合格発表前に試験結果は聞いた。父の軍歴と親戚に旧陸軍の佐官がいたので身元は問題ないので、入学を誓約されるなら合格発表すると伝えられた。学校の先輩などの入学後の去就・退校問題を聞いて・・おじさんの性格では?ダメかなと思い辞退した。授業料無しの大学は今もあり、奨学金返済不要制度もあるので・・点数を取らないといけないが、最終的には本人の意思が大きいと思っている。
奨学金
大卒と高卒 生涯賃金に落差もあり、奨学金返済でつまづいた話は良くネットに出て来る。おじさんは某新聞社の新聞配達しながらの奨学金など、返済不要の奨学金を数口貰った。そのため奨学金など返したことはない。新聞は 夕方はともかく朝4時の暗い中 通勤・折込・配達があるので 女性などには厳しいかもしれない。それでも何とかなるのが・・若い頃のお金と体力である。
最初からランキングの低い大学しか行けない成績であれば、行くのは止めた方が良いと思う。おじさんの知人の娘が辿ったコースを聞かされたので、特に低いランキングの私立大学薬学系は止めた方が良いと分かった。一人は徳島文理大薬学部 年間授業料などで200万超え、もう一人は京都薬科で150万円以下(立命館薬学などは新しいので200万円超えと聞いた)これが6年となれば、ヘタすれば学費(授業料)だけで学費の負担は1000万円を軽く超える。これに生活費を足せば・・親の負担は並のことではない。子供が留年して・・目も当てられないとのボヤキは先輩の一人からは聞いた。
最後に 大学に通って勉強しながら自由な空気・環境を味わったことは おじさんに違う目線・考え方などを持たせてくれた。従って自身での費用対効果と親と自身の将来の負担などを考えて 進むことが大事と思う。おじさんの子供は貧乏と分かっているので、国公立進学を選択していた。その為 子供から進学とコースを言われても反対しなかった。だが 3人続けば 親の懐は「からっけつ」になる。
人生を歩む方法はいろいろあり、自身が納得できる生き方をすればよいと思う。高校生になれば・・それなりに制度を調べ、方法・ルートを考えることは可能である。周囲に流され人生を決めても・・自身と親以外は誰も責任は取ってくれない。甘えてはいけない! すぐ横を見れば・・同級生も不安を抱えながら、社会人として一歩を踏み出していることを忘れてはいけない。五年・十年先を決めるのは自分自身であると思う。「こんなはずじゃなかった」も自身の決断の結果である事を忘れてはならない。