今朝は粗大ごみ・資源ごみの回収で立ち合いがあり、早朝の冷たさも和らいでいたが・・それなりで、自宅に帰った途端に お茶漬けが食べたいと思った。冷えた体に ご飯に極々定番の永谷園のお茶漬け海苔に白湯(さゆ)を掛けてサラサラとかき込みたい。元々抹茶粉末が仕込まれているので、お茶ではなく白湯で良い。そう言えば最近お茶漬けを食べていないことに気付いた。

 しかし 机の上には 納豆パックとプラスチック蓋で被ったおかずがあるので、これを食べないといけない。食べてないと奥さんが怒るし・・まあ 並の亭主の辛いところで・・納豆が無ければしたのに・・と恨めしい。それにしても永谷園のお茶漬け海苔 子供の頃からずっーーとある。子供の頃東海道五十三次の浮き世絵の小型カードを集めていたことを思い出す。確か10枚集めて応募してカードのフルセットを貰ったかすかな記憶もある。

 飲み歩いて締めのラーメンと行けず・・帰宅した途端に 冷蔵庫の中の冷ご飯をレンジで温めてからのお茶漬け・・捨てがたい味がある。チンの音に「何してるの?」と奥さんから聞かれて、答えないでいても・・「後 洗っておいてよ!」との声を残して立ち去るもまたよし。

 大人になると「鮭茶漬け」「山葵茶漬け」など色々試したが この歳が来ると戻ってしまった。海苔茶漬けが無いときには沢庵・しば漬け・胡瓜のきゅうちゃんなどの漬物か?塩昆布で食べていた。先日塩昆布でお茶漬けとしたが、最近の製品は減塩のため 塩昆布を結構入れてしまうことは反省している。なお反省と言っても おじさん自身の最高血圧は120以下なので 無理をする必要もないので 形ばかりにはなっている。この歳が来ると周りには高血圧注意者が溢れているので、付き合って頷いているのが・・・世間体として良い。

 茶漬けは血糖値を一気に上げる要素が高く、やはり漬物で補完しても塩分取り過ぎとなり易い。たまに食べるというのが最も良いとは思う。

鯛茶

 お茶漬けでよく食べてたのが、福岡では昼飯に良くタイ茶を食べていた。甘いたれで付け込まれた鯛の刺身で、一杯目は出汁を掛けず普通に食べ、二杯目にはご飯に刺身を載せ その上から出汁を注いで食べる。行きつけの店は中洲にあったが、福岡の支社から歩いていける散歩範囲だったので良く利用した。

 唐津から福岡 玄界灘のタイも良し。タイの刺身の食べ方としては大分の「りゅうきゅう」と呼ばれる食べ方と同じである。なおこの食べ方を 大分対岸の愛媛宇和島でも体験したことがある。北部九州・四国西部付近での食べ方かな?とは思っているが・・突っ込んで調べた経験はない。

 また サラリーマン時代は昼になると 結構寒いのに上着を羽織らず出かけて、店の前で並んで「寒い・寒い」と言っていた。安さとうまさにつられて並ぶのだが、耐えかねて・・浮気して客の少ないラーメン屋に飛び込んで、床も滑りそうな脂ぎった店内で・・カッターシャツで正解と思ってしまう。同僚とヨタ話しながら、人間とは かくもいい加減な生き方・捉え方をするものだと気づいた頃でもあった。(どうでも良いが・・ついつい書いてしまう)

しば漬け

 京都大原がしば漬け発祥の地である。三千院の近くは「赤じそ」の栽培が盛んで両側を山に挟まれている。本来は茄子を主体に 青唐辛子・紫蘇(しそ)などを塩で漬け、時間をかけて乳酸発酵させた漬物をいう。命名の由来も平家滅亡後 建礼門院徳子(けんれいもんいん とくこ)が差し入れられた漬物を気に入って「紫葉の漬物」と呼んだことからとの話もある。

 おじさん世代には 50歳過ぎで早世したバイリンガルキャスター山口美江がCMで「しば漬け食べたい」とつぶやくせりふが流行語となり、しば漬けもブームとなった。

バブル時代を思い出させる 大きな金ボタン 服も茶色が多かった

 最後にどうでも良いことだが・・紫蘇(シソ)の本来の形は「赤じそ」であり、「青じそ」と呼ばれる品種が 後世からの登場である。子供の頃は婆さんが、梅干し作りで使っていたことを思い出す。ばあ様はシソジュースと言ってシソで赤い色のシロップを作り、炭酸水で薄めて飲んでいた。農家では 家庭菜園の一角に常に在った植物の一つである。

 また本日は年金支給日との朗報もあり、いささか気負ってしまったのか?スタートから平安時代の干飯(かれいい・ほしいい)から 家康の湯漬けまで頭に連想が浮かび どう収拾つけるか・・迷ってしまった。「昔 男ありける」で始まる伊勢物語を思い出し、「干飯(かれいい)ほとびにけり」となる。恐ろしきは若き日々に覚えた連想記憶。あれから50年は過ぎたのに記憶が再生される。これは 昔のみを思い出すボケの第一歩か?と危惧も芽生えてしまった。

投稿者

おじさん

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