年末に 来年の目標は?と大上段から考えている最中、どうせかなわぬ目標ならライフワークにしておけば・・と曲がった方向での考えの結論というか?不届きな結論を導き出して納得してしまった。
痩せようと思ってもそう簡単ではない。それならライフワークにしておけば・・一生叶わぬことでも それなりに目標として成立する。いつもながら適当な性格と 一人都合での良い考えだとクスとほそく笑んでしまった。
老い先が見えて来ると子供のように真っすぐ考えなくなる。これが良いことなのか?悪いことなのかはケースにより異なると経験上言える。
なお 今年の目標は・・当然のことながら・・マル秘である。人様に自慢・語れるようなものでなく、ささやかなことである。
こんな性格だから 何時も本格的にストレスを貯めない。どこかスグ覚め 考え込むこともなく・・流されるままに流される。
物事は考え方を変えたりするだけではなく、結論などの置き方を変えても変わることが出来る。おじさん子供が成長する際に、少し考えを変えれば楽になるものを・・としばしば見ながら思ったけど、基本好き勝手にやれば良いと思っていた。やはり自分のやりたいように、思った通りやれば、成功しようが失敗しようが納得がいく。
なお 普段からイエス・ノーの2択と思わず5択問題と思えば、考え方のバリエーションを見直せるなどと、頭が固いと・・挑発するようなことをした覚えはない。
例えば 医者になりたいという子供は多いが、人としての気高さは評価する。しかし親としては・・そんなものにならなくてもいいと思う。勉強もハードにやらないといけないし、時間もお金もかかる。感染などの恐れのある現場、化膿などしたところにも直接触るなどしないといけない。最前線で死を賭して戦うこともあるとも分かっているので・・自分の子が 人様の命を預かり責任を全うするの?と思ってしまう。
コロナが始まった時にも 医者・看護師は患者を助けるため、最前線に留まり治療していた。原因が不明・治療薬もない状況で飛び込んで頂いていたことを尊敬するが・・自身の子供がそうであることは・・尊敬は出来るが・・無理くり自分の子供がしなくてよいと自然に思った。
我が子にしろ孫にしろ どんな職業・目標であっても やりたくてやるなら異存はない。しかし世の中では自分の生きたいようには生きていけないのが普通であると理解しておかないと間違える。下手なストレスを貯め不平だらけの一生になる。おじさんそんな奴は ごまんと見て来たが、半分以上は自分に能力・力が無いことを棚に上げていた。不平を言う前に どう努力するかを工夫し、考えないといけないことを忘れている。
最終的には 自分の人生を楽しんで生きてくれればそれでよい。子供への願いは 「おじさんより先に死ぬな!孫より先に死ね!」と思っている。順番を守って長生きしろ!というだけである。
門松は冥土の旅の一里塚
目出度くもあり 目出度くもなし。