東京なんかで暮らしていると よく二度と会わないから・・などと考え、不届きなことも結構平気やっていたことを思い出す。若い頃のパターンなんだが、今のように田舎で暮らしていると、そうは言えない。人目をはばからず・・いつも好きなようには暮らせない。
都会では毎朝乗る電車の時間を5分変えただけ、電車の乗り口をずらせれば それだけでそれまでよく見ていた人間を見なくなる。雑踏の中でお互いの目線などもかき消えている。
おじさん普段暮らす状況は 一般・不特定多数状態が好きであり、地域・自治会の役員などは本当は性に合わない。それでもお世話になっている地域の為と思い協力している。その為 町としての活動参加については遠慮申し上げ、子供会・社会福祉協会などについては早期に役員などを辞めさせて頂いた。最近でも 町単位の活動などはきっちり出席を辞退している。
不動産を生業の一部としていた頃は 営業上もありそうも言えない。否が応でも日々暮らさないといけないので、仕事なども引き受けたりした。
辞めて10年以上経過し、昔会っていた他地区の方と会う機会も少なくなり、適当に暮らせるような自由を手に入れている。
おひさ
先日まで奥さんが出かけていたので買い物などで、家近くのスーパーで食材を探すなどしていた。すると・・ちょくちょく昔なじみと会うのである。まあ別段話し込むこともなく目礼・手ぶりなどで済ませる。ところが 人によっては話し込もうと言うのか・・近づいて来てくる「しぶとい」のがいる。
月曜日の相手は 町社会福祉協議会の会長なのだが、地区内神社のお供えを買うために回っていたそうである。出会って10分ほど愚痴を聞かされた。
どうも最近は行事があっても、市などが金を出すことも少なくなり おまけに職員が手伝いにも来ないとのことで・・ぼやくことぼやくこと。社会福祉協会自体が「もの・かね・ひと」の準備をしないといけないそうで・・まあ協力してやれば!○○さん 元市役所職員じゃなかった?と突っ込んだら・・それからが長かった。下手に突っ込んで反省しきりとなった。ボケてかわせば良かった!
話が長くなり・・親父さんがボケて おむつ生活とのことまで飛び出してくる。早々逃げるため、おじさん棚にあった「すき焼きの割りした」を買ってしまった。「ああ ここにあったか!」と探していたものがあったと言うことで話を切った。砂糖と醤油だけで充分なのに・・まあ 人生はいろいろ付いて来るものがある。
女装おじさん
先日 村上信五とマツコデラックスの夜更かしで、女装趣味のお父さんが娘とすれ違った話が流れていた。娘もお父さんに気付いたが、ほかを見ていたそうである。もちろん おじさんも目をそらしたことは当然であった。人間 見て見ぬふりで生きていく知恵が大事とお互いが気付いていて よかったように思った。
広い様で狭いのが世間である。日本人はふすまと言う音も筒抜けな建具で暮らして来た伝統がある。更に平安時代までたどれば布で出来た几帳(きちょう)・屏風(びょうぶ)を使っていた。源氏物語・枕草子などの女流文学を読んでいれば・・聞こえるけど聞いていないお約束である。訪ねて来た男との逢瀬するものと近くに寝るもの お互いが嫉妬心を持ちつつ「流す」光景が見えるようで面白い。
余りに突っ込むのは無粋と言うものである。人間関係 どんな時代もどんな歳でも難しいが・・基本さらりと見て見ぬふりで やり過ごすしか良い案はないようである。