昨日は2度目のタマネギ収穫。葉の倒れた赤タマネギを抜き、乾燥などで忙しくしていると、自身に段々パワーが衰えてきたというか?無くなっているのに気付く。無理をすると当然息は切れる。午後から雨との天気予報に、作業を急ぎ過ぎたか?とも思う。
この体力低下については納得していたが・・・前日帰宅して照明を付けないで、暗い中 片足立ちでスラックスを脱ごうとして、思わずよろけることに気付いた。照明を付ければ問題ないので、三半規管が衰え、視覚の補正が入らなといけなくなったかな?と肉体の更なる老化を感じた。これじゃ バイクで夜の高速走行などはやらない方が良いと理解できた。更に無理の利かない体になっている。
使った直後に痛くなると予想する筋肉痛も、ほとんど明日以降に発生する。それ故 ソロソロ更なる断捨離を考えないといけないと考え出した。断捨離と言っても身辺の品物を整理するのではなく、余計なことをしない事を考えている。基本は負担を増やさない、パワー任せのような無理をしないことが目標である。
本日は初日なので、ブログを書きだした頃に考えていたことから始めたい。
見栄
負担を増やさないことを基本と考えれば「余計なことをしない」が大事と思う。そうでなくても ばあ様・奥さんに引きずられ、自治会などについても仕事の状況あるいは年齢から協力を求められる。嫌と言えば・・それなりの相隣関係などを築く努力をしなければいけないので・・田舎では「虻蜂取らず」の関係である。このあたりの相関的関係性が分からないと田舎では暮らせない。
おじさんがサラリーマンの頃 同期の人間が結婚式で課長を最初から外して結婚式を挙げた。関西では考えられないことであったが・・東京では影響などもなかった。「郷に入れば 郷に従え」ということである。正直 関東らしくて良いとも思ったが・・おじさん自身は関西人として行動した。世間体というものが地域で大きく異なる。
「余計なことをしない」ことの最初の一歩は 承認と自尊の欲求である「見栄と世間体」を上手く外して生きることと思う。先に書いた通り 都会と田舎つまり地域によりベースが異なるので、アレンジを上手くやらないといけない。
例えば おじさんがブログを書くにあたり、人の評価などどうでも良いと思いながら書いているので、現在もリンク・SNSなどへの関連付けは空白としている。批判されて・・あるいはおもねってなど、どうでも良いと最初から割り切っている。
若者のように承認欲求が強いままだと、SNSで「いいね」あるいはフォロアー欲しさの行動はそれに通じると思っている。
それに年寄りの書く面倒な文書を喜ぶ奴も少ないと思っている。読んで頂いている方に 気を遣い過ぎれば、自身が疲れ果てるし、周りの人に配慮を求めたりなども論外となる。
そういえば年賀状も止めた。他人に「習慣・風習」を強要する気がしたからである。おじさんが他人に面倒を掛けないことが大事と思ったからである。お互いがどう考えるかの想定となり、近況を知らせる喜びもあるが・・いざとなれば電話・ショートメールがある。年賀状を返す手間を考えれば・・金も手間も掛からぬメールが良い。
余計なことをしないという「心の断捨離」について幾らか書いておきたいと思っている。おじさんのやってるというか心掛けていることに「特段のこと」はない事も知らせておきたい。