年末が来ると年金生活者の悲哀を感じる。あと何万円あったらなああ という感覚である。

おじさん子供にも「○○君だとどうする」など同級生を挙げて質問したりした。自力というか能力の高い人間の行動思考パターンが分かれば、自ら進む道も見えてくると考えたからである。おじさん自身が金がないので「あいつならどうするかな?」などと考える。

子供の頃からおじさんちは貧乏なので、周囲の人々がどうなのかと観察していた。そんな訳で「お金持ち」についても同様であった。強いて言えば おじさん観察が好きなのである。

おじさんお金持ちについて 子供の頃から見て来た人たちの行動を考える時、彼らの基本は不自由しないと言うか、嫌な思いをしないと言うのが生活でのポリシーのように思えた。極端な話 仕事場などで嫌な思いをしても・・イザとなれば辞めてもどうでも出来ると言う感覚である。自力他力を問わずその与えられた環境で生きれることを知っていた。

また家に金がありますとは決して言わず、さらりと流す。基本的にはそんなことないように振る舞う。金がどうこうと言い出すあるいは見せびらかす奴は、成金と言うか碌な奴じゃない。

こんなことを考えている時 エッフェル塔の設計と建設を行ったエッフェルの末裔の生活を見せているTV番組(日本人元女子アナと結婚しているようで・・)を見た。フランスを代表するヨーロッパには、階級的豊かさ・継続的な経済的豊かさが存在することを見た感があった。更にイタリア・メジチ家を見ると・・豊かさは何百年も続いている。日本の財閥と言われた三菱・三井家などは戦前と戦後では大きく違ってきている。ヨーロッパの継続性 恐るべきと思っている。

おじさん 社会のシステムに人々から違和感を持たれないで、継続出来る要素・仕組みがあるのではないかと思い、探したいとは考えている。あくまで歴史的関心のようなものである。

個人としてはお金はないし、貧しいながらも人生を楽しみ・・清く・正しく・美しく生きれればよいと思っている。

金持ち三代

「金持ちは三代続かない」と「貧乏七代」は良く言われることである。金持ちの家は三代までで、その後は続かないということである。 二代目は、初代の苦労を知っているのでその財産を守り育てるが、三代目は、ぜいたくに育っているので財産をなくしてしまう者が多いことからと言われる。なお「貧乏七代」は言い過ぎと思っている。

おじいさんの近所にも戦前まで駅から1kmほどの自宅に帰るのに、自分の土地の脇道を歩けば帰れると言われていた家がある。現在の当主はおじさんより5歳年下である。学校卒業後サラリーマンを8年程したが辞めて、現在はアパート・マンション・一括賃貸社宅の大家さんとして暮らしている。彼なんか見ていると羨ましいような、面白くない人生のようで・・同じような人生は送りたいとは思わない。暮らせるが・・面白さのないように思えるのだが、彼自身はどうなんだろうと思っている。

同時に何代かに渡って維持するためには、まとまった資産などの形で伝えることが重要と分かる。そして農地など課税の緩いもので伝えるのが大切である。さもなくば相続などで大きく削がれてしまう。

単純に税金などの累進性だけを 重要視し過ぎてもこける。人口減となれば自然に不動産価格は下がるし、経済の拡大がなければ地価低下が始まる。自然災害により利用できなくなるのは東北の震災後、映像などで多く見た。そして戦後あった農地解放など国策により発生することもある。

同時に財産の相続による細分化を避ける一族での意思統一もいる。法律に定めるままに3代も相続すれば、普通細分化してしまう。まとまった資産規模・マスをキープする重要度も高い。

おじさんは田舎に住んで・・土地などはあるがまとまった資産と呼べるようなものはない。従って相続しても、土地(田んぼ・畑)の管理で相続したものは苦労するだろうと思う。相続せず国に差し出すと言うことも近日結論が出たが、約10年程の管理費を出さないと国は引き取らない。また土地の接道など求められることも多い。人に例えるなら美男美女でなければ・・ダメで熨斗(のし)付けてという話である。

土地などは時代と経済状況により変化していく。引き継いだものには色々な要素が個別にあり、半ば運不運にも思えることも出て来る。相続などは自分が納得して決める訳でもないので寂しい気もする。

一人だけで決まらない・決められないこと、あるいは時代その他の変化で変わることが多いと改めて思う。以上 おじさんちの不動産屋を親子2代で営んだ経験からの話である。しかし人口減を迎えた日本である。従来通りの考え方が通用しなくなることも覚悟しておかないといけない。

投稿者

おじさん

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