このところの円安円高のエレベータのような動きに、日本経済が滅びるなどいろいろな記事がネット&雑誌でにぎわっている。原稿を入れた時点が円安、出版されたり発表されるのが円高となり、出されたものが現実で半ば否定されるギャグのような状態が続いている。
足元が崩れるような事態の中で、意見・ポリシーを語るのは難しい。こんな時代はアインシュタインの特殊相対性理論と一般相対性理論のような考え方を分けて見ることが大事と思う。
このままどうなるとやっていたのでは、恥を覚悟しながら発表する方々の評価はダウンする恐れがある。アインシュタインの如く 考え方の設定・前提条件などを先に整理して出すべきと思う。しかし人々の思惑と言う不確かで「ゆらぎ」のある経済を規定するのは難しい。従って分けるにしても 書き手に余程の力量がないと無理かとも思っている。
ここは原稿料を欲しいのか?自分の意見を発表したい場が欲しいのか?こんな混沌とした中では いずれにしろ様子を見ることが一番である。しかし これが年寄りの考え方であり、時代から一歩遅れる。
これが若いと「俺が正しい」と押し切る。バブルの時代「俺が正しい」と言いながら、「年寄りの言うことなんぞ聞けるか!」とやったものがのし上がっていくのを見て来た。現在の経済界の重鎮を見ていれば、急成長した会社で彼らがトップとなり、引退の時期になっている。
時代が若者を求めているようにも思える。「新しい酒を新しい皮袋に盛る」と「新しい酒を古い皮袋 に盛る」という2つの言い方がある。何れが正しいかの判断は難しい。それに蛇足・個人的思いであるが、皮袋を樽とすればウイスキー作りを思い出して・・良いと思う。
人それぞれが 前例踏襲的なことを 考え直す時代と思います。あくまで謙虚に物事を見て考える時代です。
おじさん個人としては 見方・考え方に対してと思えば、「温故知新」が最も考え方に合う。欲張りなので「良いとこ取り」が基本である。
アインシュタイン
1905年に26歳の若さでアインシュタインは殊相対性理論を発表した。光の速度は光源の動きと関係なくすべての観察者にとって不変であるする光速度不変の原理と、すべての慣性系において物理学の法則は同等に働く。相対性原理を基盤として理論全体が組み立てられている。
「慣性系」とは、外から力の働かずに内部の運動状態が保たれている慣性状態にある座標系のことを指す言葉であり、外力によって速度が変化していく加速度状態にない静止状態にあるか等速運動を行っている観測者のことを意味する。
アインシュタインの相対性理論の中でも最も有名な式であるE=mc2という質量とエネルギーの等価性を表す式も、特殊相対性理論における光速度不変の原理とすべての慣性系における物理法則の相対性原理という二つの原理からもたらされる。
一般相対性理論においては、この理論が「慣性系」だけではなく「加速度系」も含めたすべての座標系、あらゆる観測者において同等に成立する理論として成立しているという意味において「一般」という言葉が用いられている。
特殊相対性理論の「光速度不変の原理」と、「(すべての慣性系における)相対性原理」という二つの原理を基盤として成り立っているものをさらに進化させている。 一般相対性理論の方は、「(加速度と重力の等価性としての)等価原理」と、「(すべての座標系における)原理」と拡大したものである。そのため理論内容の基本的な相違点がみられる。
なお この相違点をほじくり回すのが、頭が固いタイプである。現在の左翼系統に多いタイプでもある。それ故 世の中には面倒くさいのがたくさんいると思う次第である。