多くのものごとにはコアがある。見ていて見当たらない場合もあるが、使い・試していると見えてくることもある。もう少しおじさんに眼力があり、見抜く目を持ちたいと常々考える。
ところが 理想は中々かなう訳でもなく、齢(よわい)を重ねてしまった。
誰でもわかっていることである。人がいろいろ表現する言葉が変わるが「おなじなんだ」とすぐ理解できる。急所、ツボ、肝、本質、核、コア、要(かなめ)、芯など、表現はいろいろで、その意味するところもそれなりにブレてはいますが、大略は一番大切な中心・事柄ということです。
枝葉や末端は、あってもなくても大勢に影響はありませんが、核となるものがなければ、その存在そのものに意味がなくなります。
そのコア(核)となるものは、普通は枝葉に隠されていて見えません。散歩の途中 秋で落葉している木々を見てチョット考えてしまいました。いや、むしろわざと枝葉で隠していたり、いろんな形に偽装されていたりします。という訳で・・・本日は書いてしまいます。
なお コア(核)に近い急所をさらしているのは、普通はバカのすることです。ところがそれが常識となっているので、晒したままの方が都合よく手出しされないこともあります。「灯台下暗し」と誰もが気付いていることとするか?お互いを尊重してしないのか?それは分かりません。ケースバイケースのようです。例えば子供の頃から 男同士で喧嘩した時は、一方が極端に弱いなどを除き、滅多なことでキンキンは蹴られませんが、男女の場合は違うようです。少し品のない書き方で ごめんなさい。
コアの探し方
そのコアは何かを探る方法には、実はこれにも探る手順があります。
まずは、どうでもいい枝葉は無視します。枝葉に捕らわれていては、核には近づけません。
全ての生き物には、生き物としての本質がその大元にあります。
生き物の本質は何かというと、存在し続けることあるいは長く生き貫くことです。細胞分裂を繰り返し大きくなっていくことも、生命を繋ぐのも 生命のプログラムです。
存在し続けること、拡大すること、この二つから論理的に辿り導き出されるスタート地点が、核(コア)です。
核(コア)は、ほとんどの場合、とてもシンプルです。もし複雑な核(コア)に出会った場合、それはまだ本物ではない可能性が高いです。
本物ではなく偽装されているか、あるいはまだ核(コア)に到達していません。
物理学などで簡単に表記された関係にも似ていると考えています。力と加速度 F=mα アインシュタインのE=mc2のように簡単に表せるようなセンスが物理学にはある。ホーキングの著書で宇宙が加速拡大している式を見ても、宇宙定数が入っているのを見れば、やはりまだ最終形ではないと感じます。
そんな考えで今を考えると、物心ついた頃から勉強をして大学に行き、社会に出て枝葉の取るに足らないことに振り回され、忙しい日々を過ごしてきました。その内 本質を見抜いて シンプルに終わらせることが出来なくなったように思います。エバンゲリオンのように狙うコアが分かれば、もう少し楽に生きられたようにも思えます。
やはり おじさんは本質を見抜く目が曇って、本質を見抜けずに迷うばかりです。そう言いながら、腹いっぱい食べて飲んで寝てしまう・・おじさん 瘦せたソクラテスには成れそうにもありません。「ツイツイ」で暮らしていますので、少し反省してます。