社会生活において「人を見る」ことは日常茶飯のことであるが、大変難しいことである。先日おじさん 土地の登記における錯誤を修正の相談を受けたが、司法書士が気に入らないので相手方に、この司法書士では取引しかねるとお断りした。司法書士の対人での動作あるいは事務所の状況に不信・不安を覚えたからである。相手からは取り直しの発言があったが・・司法書士を変えるのが前提とは伝えた。

基本的に信用を大切にすべきかたは、話すときのポジショニングから その挙動から話し方・表情からなど多岐に注意しなければならない。逆に言えば 多くの仕事は信頼される人間であるべき努力と形式などが求められる。

社会の中で生きて行くうえで、「人を見る目」というのはとても大切な能力です。しかし 我々は「人を見る目」について学校では習っていませんし、人から教えてもらう機会も今の時代ではほとんどありません。これは社会に出て、相当の年月を経ても同様です。

客観的に人を評価する能力を、ほとんどの人は人を見る目を鍛えたりしていないのが普通です。

その結果が、学校の成績とかどこの大学を卒業したとか、どこの会社にいるとか、役職や肩書きなどで人を評価することになります。このようなことは 自身が人を評価する評価基準と能力を持っていないのが原因と思っています。

おじさんは自身が 身だしなみ・服装的にはだらしないと言うか無頓着なので、服装・持ち物などでは評価はしません。人によっては、どんな服を着ているかとか、どんなバッグを持っているかなど どうでも良い事でその人を評価したりしません。

しかしおじさんはどんな服装・持ち物であれ、全体のバランスを見ています。「ばくち打ちのちびれ草履」など ばあさんから教えられたことも今の時代に合わせて、変化させてみるようにはしています。でも 人を見る、評価するには、もっと具体的で体系立てたものが必要です。

その人のうわべではなく、もっと根源的なところを見る方法を持っていなければなりません。

例えば、相手がどれだけ正直か、誠実か、感情は安定しているか、苦難に耐えられるか、継続して努力できるか、客観的に物事を見れるか、他人への思いやりがあるか、心のゆとりを持っているか・・・、などの多面的な項目を持って、それをどうやって評価するか、それらの具体的な方法を、我々は体系的に持たないといけません。

一部の企業や人事関係のコンサルなどでは 人の見方を社員などに 目的に沿って教育をしています。

そういう教育は、本来ならばもう小中学校の義務教育時代からやっておくべき事柄とも思います。しかし教育機関が そのような人を差別・分ける方法を教えるべきではありません。従って親が教えるべきことかというのも子供の自由にタガを嵌めるようなものとも思えます。

最近は 人事管理の外注などが宣伝されたりしています。ソロソロ 社会で生きて行くのに必要な事 つまり人を見分けることを考えないといけない時代です。なお 今から人を見つめる方法を探そうと言う方は、今まで幸せな人生を送られてきたと 周囲に感謝すべきと思います。

まずは 人を見つめ 経験を加えて、ゆっくり力を育てることが大事と思っています。

投稿者

おじさん

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