現場、現実、現物の3つを重視するという考え方で、3現主義という言葉があります。おじさんも仕事ではとても大切な考え方だと思います。

ところが、現場にどっぷりと入り込んでしまうと、問題の実態が見えなくなるということが時々起ります。少し離れているほうが、実態がよく見える。昔から これを「岡目八目」と言います。縁台将棋を横から見てれば、差し手が「へぼ」と思うのと同じです。

今風に言えば、ブラックホールの近くでブラックホールを見ても良くわからないが、離れた観測点からはブラックホール全体・挙動が見えると言えば良いかも知れません。

ニュース番組で現地特派員とキャスターの会話であれ?と思うようなシーンを見ることがあります。ところが一方で「何それ?」と突っ込んでくるコメンテーターの大学教授もいて、面白い会話が聴けることもあります。見ていて わざとらしいと思うのは、おじさんだけでしょうか?岡目八目からかも知れません。

なお 岡目八目は囲碁から出た語であり、碁をわきから見ていると、実際に打っている人よりも、八目も先まで読めるいうことからとされます。

バブル崩壊

以前にも書きましたが、今の中国経済は崩壊寸前か一部ではもう崩壊が始まっているとは思っています。今回はいくらか補足的に書きます。

おじさん自身が体験した 日本のバブルが崩壊前に、海外の経済評論家は「日本経済は危ない」と警告を鳴らしていました。

当時 日本国内にいる経済評論家の大半はバブルの雰囲気に流されていて、問題に気づいていませんでした。「バブルは破裂して初めて分かる」というのは、現地にいる人の言葉であって、外から見ている人には分かっていたことと思います。

渦中にいると、周りの人も一緒になって回っているから、渦が回っていることに気付かないのが当たり前と思います。

多分 中国国内にいる人には、今の中国の景気はまだまだ大丈夫だと見えているらしく、外から見ている姿とはずいぶんとギャップがあるのかと思います。

ウイグル問題なども全て同じと思います。現地で報道も管制されていますので、中国語が分れば分かるほど情報が混乱し、メガネが曇るものと思われます。

逆に、よく言われることに「中国経済の崩壊は10年以上前からずっと言われ続けていた。だが崩壊はしなかった。今さら 崩壊するという話も信用できない」という時間経過・状況変化を忘れた話をする御仁もある。

昨年の降雨とその後の穀物調達の状況 中国政府が発表する統計資料の整合性がなく アテにならない。近々の情報さえ正直・満足に出せない今の中国経済の実態は相当危ない状況にあると感じます。

近日も不動産崩壊について国営企業が受け皿として、不動産会社の資産購入などが伝えられます。アフリカ東南アジアに一帯一路で撒いた金の回収も滞りつつある現状では、中国政府が この崩壊を力技で食い止めることができる!とはおじさん思えません。

人口の倍ほどが住める鬼城と呼ばれる建物を作り、利用できずに資源を無駄にする。オマケに人口減少が起きているので、益々使うあてもない。GNPを稼ぎ出した全てが無駄になっていく。高く積み上げた砂上の楼閣とも思える状況が中国と考えます。

一時的な時間稼ぎならできると思います。しかし時間稼ぎをすればするほど、崩壊した時の被害は大きくなる。

日本でも 住宅ローンに困窮した方がサラ金から借金して・・・と同じです。時間稼ぎをしている間に、何かとてもラッキーなことがあり、事態が改善することを期待してのことかもしれません。でも普通は、時間稼ぎをすればするほど、崩壊した時の被害は大きくなります。それ故 おじさん昔から「見切り千両」と思っています。

天命

中国の王朝の変遷を見ていると、遊牧民が打ち立てた王朝は仏教を保護している。西遊記に出て来る三蔵法師・孫悟空などは仏教であり、遊牧系であった当時の唐王朝により保護される。世界観も お釈迦様が世界の全てのものを束ねているとしている。孫悟空が きんとん雲で 世界の端から端まで飛んでも、シャカの手のひらに収まっている。王権はお釈迦様より認められている形である。

ところが 殷・周・漢など遊牧民以外つまり土着民が打ち立てた王朝では儒教などが中心になり、王権(皇帝)は「天命」として与えられたとして、立ち位置を守ろうとする。

やはり共産党も中国の土着王朝同様 「天命」によるとしたいのかもしれないと思っている。その為 いささか無理が過ぎてると思ってしまう。

マルクス・レーニン主義が仏教に対応しているのかと考えても、中国の無節操な帝国主義的行動を見るので違っているとしか思えない。インドとの領有争い、南シナ海、尖閣諸島など帝国主義的行動への反省もないようである。「上から目線」だけが印象に残る。

余計な話であるが、万里の長城も同じである。現存する長城の大部分は明の時代であり、秦・前漢・北魏・北斉・隋・金・明は大規模な長城建設を行ったのに対し、後漢・魏・晋など諸王朝・唐・五代の各王朝・宋・元・清は長城防衛をほとんどか まったく行わなかった。

長城建設は土着民の王朝で行われ、遊牧民の王朝では行われなかった。今と歴史を比べて見ると他のものが見えて来る。

歳をとるにつけて知らないこと 面白い共通性が見えて来て楽しい。こんなこと高校時代に世界史を習った頃は思いもしなかった。子育ての頃は習ったことも忘れていた。しかし ヒマになり 縦糸だけだったものに横糸を通す楽しみが出来て、面白い。年金生活者としては金も掛からず有難い。ここは 今しばらく長生きして楽しまねば!と思う日々である。

投稿者

おじさん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です