先日3歳ほど下の後輩とスーパーでの邂逅(かいこう)があったことを書いた。久々の出会いなので「邂逅」と書けば、いく分聞こえが良いかと使ってみる。
実を言うと この年齢差3歳が後輩たちとおじさん達を分ける壁である。原因を言えばセンター試験などの前の「共通一次」と呼ばれた大学入試選抜試験の始まりの存在である。正直おじさん達の世代は一発勝負の大学入試のみであった。大学の序列も受験生のスクリーニングがされないので、ランキングも当てにならない。その為か受験では玉石混交状態に近い受験生が争った。
そんな受験状態を現わしたのが横浜国大であった。当時の国立大学は前期一回、後期一回いずれか一回の日程で入試が行なわれていた。その為 横浜国大は二期の試験なので一期の東大落ちが大量に受験するので非常に狭き門となった。おじさんの時代は東大に次ぐ賢いのが集まる学校であった。今もそうであるが 子供の時代には優秀だが、それなりになっていた。
時代的に全体が経済的に貧しいので、地元の大学優先ということも多かった。その為 同じ大学・同学部でもトップとビリでは学力差もそれなりに在った。バカみたいに数学などは出来るが、他はからっきしと言うものも存在出来た。受験前と言うか高校在学初期から科目選択しているので、総合力は無いが科目分野で突出していたものも多かった。そんなことも周囲が認めていたので、数学は○○ 英語は△△などと注目されていた。総合力だけの評価など・・そんなもんだと言う気風もあった。特定受験科目中心で入試に挑むものも多かった。
子供と受験の話した頃 センターで順位付けされたようなことを聞いた。これでは「得手に帆掛け(揚げ)」ることも出来ず多くの子供の才能が開かないと感じた。得意なことで伸ばしていける受験があれば良いのにと思った。最低限は確保しつつ、受験生を試す。そんな受験を出来る学校はと・・採点配分を探したら、東大しかなかった。中堅大学を含め、独自の受験体系を作る大学は皆無のようである。ドラゴン桜を初めて見た時、当然 違和感がなかった。
後輩の時代では 共通一次と言うスクリーニングが実施されるので、学生のばらつき度がなくなり、大学のランキングも定まる。不揃いさがなくなり、仕事はこなすがユニーク度はけた違いに落ちる。多分 学生時代に同質・同レベルだけの交流で済んできたためかと思う。
おじさんの感想では共通一次世代以降は お行儀は良いが「とっぴさ」が無く面白くない。この辺りが、現在の代表的経営者・社長に高卒が多い原因とも思える。
後輩から聞いた 規定類などの見直しをした人間を思い出す。サラリーマン時代ではあるが同期の面々の顔と行状を思い出すと笑ってしまう。お互い年齢なので旧悪をばらすことはしない。話に出て来たメンバー 皆それなりのヤンチャいたずら小僧であったことは確かである。今思えば この辺りが上司から重用された原因かもしれないと思う。
大学ランキング
おじさんの時代にも大学のランキングをいうものはあった。もちろん私大の早慶をはじめに6大学 関西の4大学も高い評価をされていた。現状 人気なく大学のランキングが著しく下がったところは地方大学である。
その為か ある時子供が私の大学がおじさんのランキングより上だから、私の方が勉強が出来ると言った。
おじさん無理な反論はしなかったが、ここで逸話は書いて置く。おじさんと一緒に東京理科大と立教の同じ学部を受験したが、友人は両校ともに落ちたが京大に合格した。おじさんは両校合格であった。そして子供よりランキングの高い○○大を進路指導からは薦められていた。
当時の受験制度はスクリーニングされていないので、大学の出題傾向・題意に対する得意・不得意にて合否が決まる要素があった。受験結果は偏差値成績順の如く 順当に決まるものでもなかった。旺文社が始めた『螢雪時代』の偏差値も進路指導に重要視されていなかった。同級生を見ても偏差値と受験結果はよく外れていた。
おじさんの受験当時 おじさんの爺さんの具合が悪くなり、もしかの場合があればと、家族で話して地域からは出なかった。同時期 防大受験結果で陸上とされ、航空(パイロット)への夢も立ち切れ、入学辞退した直後なので、半ばどうでも良かった。
そんなことを経験していたので、子供の受験の際は受験大学について、貧乏 且つ年次が兄妹で重なるので私立はやめてとした。子供の受験に大きな規制を掛けた覚えはない。
もちろん 時代に伴い大学の人気度は変化していく。おじさん 子供が受験の頃 同級生の母校の教員をしていたのから、「日・東・駒・専」昔のランキングではないぞ!と強く言われた。関西も同じと聞いた。
時代
受験が始まっていますが、大学だけで人生が決まってしまうものではありません。人生の大きな要素は社会人での勉強かと思います。人生は学校ひとつで決まるような甘いものではありません。多くの方が社会人として 最初はサラリーマンから始められると思います。人に揉まれて「なんぼのもの」になれるかが転機と思います。
社会人 大きく外れてはいけませんが、従順し過ぎてもいけません。大胆過ぎてもいけないし、小心過ぎてもいけません。小心なのに大胆、大胆なのに小心と 酒の力を借りずに出来るのだが、酒の席と言いながら利用する小ズルイなど両面があっても良いと思います。
色々ありますが 基本サラリーマン 上司部下に恵まれないと仕事も出来ません。全ての方が伝説になるような仕事・チャンスには恵まれません。先ずは 今の仕事をこなし、大過なく過ごされてれば良いと思います。
時代はどんどん変わり 評価基準も変わっていきます。過去にこだわることなく 先を見据えて生きれば良いと思っています。日々 中庸を思い 勉強精進していればチャンスは巡るものです。チャンスの神様の前髪を掴めるようにするしかありません。(補足:チャンスの神様カイロスは後頭部はげと言われてます。)
人生そう長いとは思えません。おじさんは「もっとしたいことがあるのに なんと短いことか!」と思っています。結果 あくまでもリレー競技してる選手の一選手と思い生きるのがベストかな?と考えています。
こんなはずではと思うこともあると思います。まあ 時代の要請・制度 色々ありますので、しゃーない事です。竿をさすのも激流でさしようがありません。ゆっくり時代を見つめ、流れを感じ タイミングを掴むことが大事と思います。
最後に 奮励努力されることを祈念します。