正月の深夜時間にTV を見ていると「来世ではちゃんとします」という番組があった。おじさんも若い頃 特に結婚前まではそうだったよな?と思うシーンもあり面白かった。しかし おじさんの頃と違い性的マイノリティーまで取り上げているのに驚いた。寛容さは おじさんの頃より格段上であるが・・・それだけに踏み込めば、もっと面白だろうし美味しいことが待ち受けると想像出来た。しかし踏み込めば不幸になった時の痛手は大きいと知っている。だが踏み込んで当たった場合も分るので、勝手にすればとも思う。
「何事も夢のまた夢」 豊臣秀吉の辞世の句をモジって書いてみる。
人間 余程の堅物(かたぶつ)でもない限り、臆面もなく恥ずかしがることなく、色々やってしまったことがあるのが普通である。誰でも「ある・あった」と思い当たり、年寄りになり後悔が溢れ出ることになる。それ故 個人的には後悔するなら やってしまって後悔するのが良いと思う。
いつの間にか子供の前で「清く・正しく・美しく」と宝塚的枕詞をふりながら・・臆面もなく言ってしまう・・まあ人間とは厚かましい生きものである。子供も孫に対して同じだろうと想像し、歴史は繰り返されるものと受け入れている。
だがフロイト的まで突き詰めてしまうと、生きていくのにこだわりを掛けすぎるようで大変である。酔っぱらって話が下ネタに落ちるのは納得するが・・素面(しらふ)で下ネタになるのは鼻白む(はなじろむ)ことである。
以上の事 「痛い」と表現するしかない様にも思う。ドラマ同様 来世に期待するしかないと結論を出す。
反ワクチン
反ワクチンあるいはノーマスクこれを喧伝するものをおじさんは信じられない。自らのお節介さに気が付いていないのかと思ったりする。まさに電線音頭「人の迷惑顧みず・・・」となる。
特にマスクは他人に迷惑を掛けるものでない。自らが無症状・無自覚で感染していた場合での 他人への感染対策となる。マスクしても 他人の利害に影響することはない。しない者が不利益を受けることも無い。
ワクチンについても任意であり、本人が打ちたくなければ 打たなくても支障はない。アメリカなどで雇用主が求めることが発生しているが、求められ 打ちたくなければ職を辞すれば良い。打つ判断も自己責任、打たないのも自己責任である。政治をしたり組織を作る際 トップに立つものは自分の利益のみならず、全員が満足するように運営するのが通例である。従って雇用主がワクチン接種を求めることは自己利益のみではない。
個人の意見をアッピールすることについてはとやかくは言わない。日本は自由主義国家である。おじさんなどは古い人間なので、自己アッピールの一つと見做している。学生時代 革命に命を懸けたと言い張る人物がいたので、同様の方と思っている。「自分たちだけが真理を分かっている」と一方的に解釈している宗教家にも似てたと思う。現在も寒風の中、酷暑の中 駅前広場で呼びかけ活動をされている70歳後半の方々を見て更にそう感じる。仕上がった姿・形を見ていると理解している。
まあ 反ワクチン・革命論者につける薬はないので死ぬまで治らないタイプと了解している。おじさん 何時も先ほどの年寄り集団などは 遠巻きに歩いてやり過ごしている。
今年も小市民! 今年もちゃんと小市民します!