仙台でのサッカー予選のニュースの中で、プラカードを持つ方が写され 持っていたプラカードに「直行直帰」と書かれていて、サラリーマン時代を思い出してしまった。

特に仙台は朝一の新幹線 仙台までノンストップがあり、自宅から直行していた。仙台到着後 駅構内の売店で ずんだ餅あるいは関連商品を口にして、電車を乗り換え 他の県に向かうなどした。バブルの時代の残光があり、帰りは勿論タン・海鮮などを頂いたのち 直帰させていただいた。

懐かしくもあり・・・サラリーマン時代のチョットした悪事を思い出す。

夜行バス

おじさん住んでいたのが地下鉄東西線沿線で、ディズニーランドのご近所であった。その為 夜行バスが沿線の駅から仙台駅に運行されていた。

朝の直行 早起きで7時前の電車に乗らないといけない。ところが前日の準備のための残業が発生したり、打ち合わせという名のお付き合いがあり 朝がキツイ。

そこで帰り道の銭湯(東京八重洲口、内神田などにありましたが 今はもうないと思います)などに立ち寄り家に帰る。自宅に帰れば 即着替え 翌日の荷物をまとめ、奥さんに最寄りのバス停の駅まで車で送ってもらう。もちろん時間があれば自宅で風呂に入り、のんびりと時間までを過ごす。

後は夜行バスに乗れば翌朝6:00には仙台駅前となる。駅近の吉野家で朝食を食べる。仙台から先の場合は乗り換えがあり ダメな場合もあるが、都合が悪くない場合は 時間つぶしに塩釜の魚市場に電車で向かい、市場を見学・買い物をする。そこは仙台市の台所でもあり、新鮮な魚介類に溢れている。浮いた出張費で買い物し、自宅にクール便で毛ガニ・カキなどを送っていた。

その為 奥さんから車の送迎は嫌がられず、子供は塩分控えめ・茹でたての毛ガニなどを元気に食べていた。

塩釜の買い物後は 再度仙台市内に戻り、新幹線定刻に合わせ10:30よりの仕事となる。

おじさん小市民な性格なので、仙台の泊まり出張は殆んどしなかった。上司などは朝の早出を嫌がり 当然前日泊まり出張をかけたくせに、打ち合わせは午後からという猛者な性格の方も多かった。

お互い分かっても言わないのが・・・大人と心得えていた。今なら突き上げられ・・・大変と思う。

直帰は人の為ならず

時間帯的には仙台で夕食を頂いた後 新幹線で帰れば東京駅で電車を乗り変えれば問題ないが・・・そこはバブルの余韻の時代・・・東京駅で降りて再度 いつものメンバーといつものように嵌めを外す。

ところがこれが大事なことであり、それから再度 会社に向かうことも多かった。当時はポケベルかショルダーのハンディホンと呼ばれる携帯中心で連絡は常に断続的であった。捕まらなければ・・・仕方ないねと済んだ時代である。後輩上司が仕事中と言うことが多く、会社に顔出すと 口ではいろいろ言いながらも歓迎してくれた。

「情けは人の為ならず」と言うが、当時は部下なども考えて「直帰は人の為ならず」と思っていた。

おじさんも当時は中間管理職「猛烈サラリーマン」していたと思いだします。「24時間戦えますか?」のキャッチフレーズのようによく働いていたとは思うが・・・よく遊んでもいた。

今は携帯があるので逆に困ることも多いと思いますが、まあ 一人では生きていないので仕方ないと諦めてください。

投稿者

おじさん

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