昨日冷蔵庫を開け アイスコーヒーを取り出そうとしたら、大きなキュウリの浅漬けのパックが入っていた。生協の商品と思うが、多分ジップロックに小分けされ これから続くと予想できる。我が家のキュウリはばあ様の世話の甲斐なく、残り1本となり 草に埋もれて回復が見込めない・・・と聞いていた。

植物誌 昨日はナス 今日はキュウリである。実を言えばここ数日の熱さと大雨のため散歩の仕方が「しましたよ」と言うような軟弱状態が続いている。従って脇に逸れることもなく、キョロキョロが減ってしまい、良い写真を取っていない。先日もしたので「キュウリ第2弾 初物キュウリ」として始める。

基本的におじさんの性格 中国語で言えば「馬馬虎虎」(マーマーホーホー)。適当なのでそれが出ただけと思っている。言葉の意味は日本語の「まあまあ」と言うニアンスである。

それにキュウリで引っ張ろうとの良からぬ考えも出て来てしまった。実を言うと 昔キュウリについて色々文書を読んだことがあり、日本人の「初物」と結び付いたことを伝えておくのが良いと思ったからである。たまには雑学も良いかなと思って・・・性格なのか 反省は深くない。

初物

初物と一番に出て来るのは「初ガツオ」である。江戸時代の格言に「初鰹は女房を質に入れても食え」とあり、また「目には青葉山ほととぎす初鰹」いうのもあります。 この時代の鰹は高級な魚で、値段の高いカツオを庶民が食べられるはずもありません。江戸っ子気質の見栄っ張りな性格を表した言葉と思います。

また 初物にまつわることわざの中に「初物七十五日」があります。 初物を食べると縁起がよく 寿命が延び、75日間長生きできるということわざです。

この辺りまでは落語の「まくら」に登場する最初の振りのようなもので・・・立て板に水で来てしまう。

日本人の初物(はつもの)好きは名高く、これは江戸の野菜にも当てはまる。4代将軍家綱の寛文年間(1661~1673)、砂村(今の江東区北砂・南砂)の松本久四郎が、ビニール・ハウス栽培の元祖のような油紙障子(荏胡麻 えごまを塗った油紙)で囲い 時季外れのナス、キュウリ等を作って幕府に献上し続けたという。

地下鉄東西線 南砂町駅の近郊から砂街銀座商店街(北砂)辺りでしょうか?砂村は江戸湾に近く、日照に恵まれ 海の影響で夜間も気温が急激に温度が下がらないという気候条件と元々 江戸のごみで埋め立てた土地であるため地味が肥えているという好条件を備えていました。

周囲を防風垣やむしろで囲って風を防ぎ、苗床では江戸市中からでるごみを稲藁や落ち葉などと積んで発生する発酵熱で地温を温め、さらに炭火をおこし温度調整をしていた。

こうして作られたキュウリを、江戸の町人は、主に漬け物にして食べていました。本朝食艦には「大抵(だいたい)蔬としては佳くない。ただ塩漬け・糟(かす)漬けにして蔵し、香の物とするのが佳い」と書かれています。今も愛される「ぬか漬け」の形がメインとなっていました。

一方、輪切りにすると徳川家の家紋である葵の御紋に似ているところから、それを食べるのは不敬であるとして、きゅうりを輪切りにすることは慎まれていたなど、武士はあまり食べなかったという話もある。

江戸っ子の異常な初物好きが、特殊な野菜を作る環境を産む。民心が奢侈(しゃし)に傾き、物価の高騰を引き起こす。そのため 幕府は「促成栽培禁止令」を数度に渡って出したと伝えられている。

次回も何とかしないといけない。本日も雨 更なる雑学などひねり出さねばいけないかもしれない。

投稿者

おじさん

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