「霞」と言うと何となくいい響きであるが、黄砂・PM2.5と言うと無粋に聞こえる。

奥さん一昨日まで洗濯物云々。おじさんは喉がいがらっぽくて うがい三昧。マスクしても家の中ではしないので、どうしても影響を受けてしまう。昨日は車の廃車に伴い、自宅車庫の車を入れ替えたので「ついで散歩」にて自宅と車屋間の片道を遠回りしながら歩いた。黄砂の為 日差しは柔らかいが、呼吸は最悪である。何時もならマスクはしないが、マスクを付けると変にマスク周りが暑くなる。本日は霞と呼べるレベルなので 散歩は楽かな?

先週週末に車を廃車にしたので、黄砂のたびに 洗車するのが無くなり、嬉しくもあり寂しくもありと思う月初である。

霞の衣

「かすみのころも」歌語でありいろいろの古典に登場する。『古今集』などでも用いられている。源氏物語でも 若菜下の巻で女三の官との密通が発覚した柏木は、光源氏の隕患に触れて病に倒れたあげく、ついに他界する。

ゆふぐれのくものけしき、にびいろにかすみて、はなのちケたるこずゑどもをも、けふぞめとゞめ給。この御たヽむがみに・・・・のしたのしづくにぬれてさかさまに「かすみのころも」きたる春かな・・・

前後の話より「霞の衣」が喪服の意味で用いられているとされているのが定説である。

ところが 柏木とは著しく異なる『古今集』には在原行平朝臣の歌がある。

はるのきるかすみの衣ぬきをうすみ山風にこそみだるべらなれ(巻一、春歌上。二三)

これは山にかかる霞を、春が「霞の衣号」を着たとした擬人法の歌である。つまり、修辞的意味を外せば、ここでいう「霞の衣」は単に「霞」といってさしつかえない。

おじさんはいずれも豊かで優雅な表現と思うが、捉え方が違うことなど 時代の流れを経れば変わることを感じるのが大事と思う。すべては同じところに留まらない。

中島みゆき

「黄砂に吹かれて」おじさんは中島みゆきと思っていたが、工藤静香 通算8枚目のシングルと本日知った。

おじさんは中島みゆきのアルバムに入っていたのでそう思い込んでいました。Youtubeを探しても中島みゆきは無いようです。中島みゆき探したのですが・・・カバーばかりで残念。

おじさんこのサビが好きなんです。単純に色恋なく言えば、誰もが簡単明瞭「分かちゃいるけど・・・止められない」

あなたに似ている人もいるのに あなたより やさしい男も♪

砂の数より いるのにね 旅人♪

まあ 最近は体力と気力がついてこないので、始終「そうね」と流すようになりました。

投稿者

おじさん

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