接種対象の医療従事者370万人予定 ここにきてさらに100万人増加したとの田村厚生大臣の発表があり、やはり増えたかと思った。現在コロナに現場で実際に向き合っている方は逆に抗体の出来ることと感染が紙一重になるため、接種は控えられるかと思う。一方他の部署の方は感染を恐れず立ち向かえる。イザ感染となっても命が守れる可能性が高いため、救急の患者さんなどに対応しやすくなると思う。
また一定期間が過ぎれば医療チームのローテーションにてコロナ現場で現在戦って頂いている医療従事者の交代も出来る。そうなればホット一息・リラックス出来ると同時に 現在現場で努力されいる方もワクチン接種できる。正に ウインウインなことと思う。
コロナワクチン
接種希望などの集約が厚生省に上がって来てのことだと思うので、医療従事者自身が個別に安全性などの確認が終わったことだと思っている。おじさんは医師でもないので、医師などの読む論文類に直接アクセスすることはない。人の動きで判断しただけである。
現在 おじさんはワクチン接種を受けるつもりである。これだけ最初の接種からの経過を考えれば打たない選択は無いと思う。だがワクチン接種を受けないということも否定はしない。
ユダヤ人の多数決について「日本人とユダヤ人」(山本七平)に書いてあったことであるが反対意見が0であるなら 多数決の結果は否定されるというものである。否定されることのない意見は無効と云うものである。日本人とは異質と瞬間思うが、おじさんはこれが生き残れるものの考え方と思った。一方は滅びても他方は生き残るという、戦国時代の真田一族と同じである。
接種しても接種しなくても その結果に年月が経たないと、どちらが正解と判断するのは早計である。商売あるいは投資などでも、短期的だけではなく長期的に考え実行することもある。「損して得取れ」と言うことわざもあるように考え方は個人の自由である。大事なことは自分の下した決断に責任と覚悟を持つだけである。
コロナでの自殺願望
ワクチン接種を望まない方について思ったことであるが、コロナ罹患による消極的自殺を考える方がいるのだろうかと云うものである。罹患して亡くなるのも神のお決めになったことという独善的?考えである。周囲を知らずに巻き込む状態を作る可能性があり頂けない。
ご高齢者が言いそうなことと思っていたが、先日 おじさん小学校時代の恩師(93歳だったはず)と偶然お会いした。先日聞いたところ否定されていた。「全てが不自由になったが、心は若い頃とあまり変わらない。もっと生きたいよ。」とのことであった。正直 おじさん自身も年齢をくったので肉体的には衰えたが、精神は若い頃と変わらない。体を考え「バカ」をしなくなっただけである。
そうなると若くて 貯えが無く経済的ご苦労をされている方が考えられる。そんな方は健康な精神を今一度お考えいただきたい。やはり健康な精神状態であれば、無理やりな心配をするべきではないと気づかれると思う。年寄りが言えるのは、今は卑怯でも どうであれ、人に頼っても生き貫けということである。個人の見解あるいは思いというものは、立ち位置と時間が変われば変わることはお伝えする。
ワクチン争奪戦
現在 世界各国でワクチン確保の争奪戦が始まっている様である。お金にあかしてということもあるかもしれないが、それなりには政府が頑張っていただきたい。田村厚生労働大臣の言葉を借りれば 「国民にとっても精神的な不安を解消する一因になるし、安心感にもつながるので、歓迎されるべきことだ」ということになる。
特にオリンピックを開催するとの強い信念があれば、開催時の国民の不安あるいは参加者の不安を払拭する為にと、他国に無理を言うことも良いと思う。理念・目的をもって頑張っていただきたい。中途半端な考えでは人を動かせない。