辞書によれば 死んであの世に持っていくものとされる。
ところが おじさん以上の年代では 何か大変良いことがあった時 使われるのが常である。
おじさんの同級生と話した時など ツイツイ出て来るが 年齢のためか、どこか冗談めかしたことに聞こえる。
とは言っても明日はわからない。毎日を充実していきたいものだと祈念しつつ生きている。
手廻しよく 冥途の土産の用意を始めると考えたものの・・・
あの世まで持って行けないので 宵越しの銭を持たない(てないか?)タイプであるから 万事アッサリ 煮詰まってしまう。
せめてお金がないなら「噺」でも持って行くしかないかと結論付ける。
天国・地獄
先日奥さんの実家の法要で、法話が「お浄土で また会える」との話を聞いたが、果たして おじさんは 天国・地獄 どちらと考える。
お浄土であれば天国と考えられるが・・・日頃の行いが良いだけでは天国には行けないだろうと思う、どうしたもんか?
まあ 悪事を働いた覚えも無いが・・・何かの手違いで 地獄の閻魔大王に会ってしまった時は お裁きが長引くように 「噺」に困らない位の土産は持って行きたいとも思う。
何にしようか
冥途の土産 相当よい土産と考えると どれを持って行くのか考え込んでしまう。
ネットで検索すると 金・酒・噂話 がベストスリーに挙がっている記事がある。
思わず悲しくなるような 俗物的項目に・・・再度 考える。
「金はない!」ということで コロナが収まれば 京都「六道珍皇寺」に閻魔様と小野篁様(おののたかむら)にお参りして、閻魔様と小野篁様への口利き料として、さい銭多めで前払いして置けば大してお金はかからないじゃないか。
上段を書きながら 読み返して、貧乏で小市民なおじさんの発想である。元がそれなり 仕方ない。
そうすると 後は 酒と噂話 適当に生きてればなんとかなりそうだし、ボケれば仕方ないと諦めもつく。
まあ あまり考えず 楽しく適当に生きてればよい様にも思えてくる。
大きなこと・多いことはいらない・・西川きよし師匠のような「小さいことからコツコツ」としかないように思える。