プラタナスの街路樹の葉が落ち始めた。最近は プラタナスの街路樹の本数も 段々減って少なくなっている。

減ってきた原因は この時期から見かける落ち葉のせいではないかと思っている。イチョウも同じように思うが、枯葉の朽ち行く様を見ていると違うと感じる。

プラタナスは丸くなり 結構崩れずカラカラと転がり ネットフェンスなどに挟まっている光景を見る。一方イチョウは重いのか 道路上で車に踏まれ、砕けていく。

プラタナス同様 常緑ではある山モモの木も街路樹として減ったきた。公園などでは適当な高さで茂り、夏の日陰を演出する。

ところが街路樹では冠状に茂るのが仇となるのか、道路側が刈り込まれ 自然に樹勢を落としダメになるようである。

あれこれ

プラタナス(学名: Platanus)は、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称。街路樹・庭園樹として広く用いられている。

北半球に自生する樹木であるが、種の数は少ない。

プラタナスの語源は、ギリシャ語の platys(広い)であり、大きな葉に由来する。

また、英語では、planes、plane treesと呼ばれる。

葉が大きく落葉樹である(夏は木陰を作り、冬は陽を遮らない)、虫がつきにくい(下に毛虫が落ちてこない)等の特徴から街路樹に適する。

海外では古くから街路樹に使われていたが、日本には明治初期に輸入されたのが 街路樹としての最初である。

樹皮が剥がれるとまるで迷彩柄のような見た目になる。小学校の校庭に植えられていたプラタナスは悪ガキが登るためか 迷彩柄であった。

北山修

おじさん 「風」  という曲で はしだのりひことシューベルツ が歌ったものだけど・・・

20歳過ぎくらいに 何故か「心にしみた」という思い出がある。何故かは 忘れた!

「プラタナス」小学校の校庭にあり、中学校への通学路にあった・・・思い出の植物である。

今 この詩を読んでいても 北山修氏の当時の年齢を考えると・・・そんなんやから 早死にするんや! と思えてくる。

良い詩とは思うが どこか切ない。どこか過ぎる感があり 悲しい。

「風」  作詞:北山修

人は誰もただ一人 旅に出て       人は誰もふるさとを 振りかえる

ちょっぴりさみしくて 振りかえっても  そこにはただ風が 吹いているだけ

人は誰も人生に つまづいて       人は誰も夢破れ 振りかえる

プラタナスの枯葉舞う 冬の道で     プラタナスの散る音に 振りかえる

帰っておいでよと 振りかえっても    そこにはただ風が 吹いているだけ

人は誰も恋をした 切なさに       人は誰も耐えきれず 振りかえる

何かをもとめて 振りかえっても     そこにはただ風が 吹いているだけ

振りかえらずただ一人 一歩ずつ     振りかえらず 泣かないで歩くんだ

何かをもとめて 振りかえっても     そこにはただ風が 吹いているだけ

吹いているだけ 吹いているだけ     吹いているだけ…

カバーされていたので・・・雰囲気は「良い」と思います。

投稿者

おじさん

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