セイタカアワダチソウが話題になったのは中学生の頃だった。

おじさん 帰化植物の研究をしている先生から理科を教わった。その為 色々解説を聞いたのを思い出す。

その当時は花粉アレルギーの疑いありで悪者であったが、現在は薬効その他が知られ 悪者でなくなった。アレルギー犯人の疑いは晴れた。

あれこれ

北アメリカ原産で、明治時代末期に園芸目的(切り花用の観賞植物)で導入された帰化植物(外来種)であり、ススキなどの在来種と競合する。

「昭和の初めには既に帰化が知られている」との記述が牧野日本植物図鑑にある。

その存在が目立つようになったのは第二次世界大戦後で、アメリカ軍の輸入物資に付いていた種子によるもの等が拡大起因とされており、昭和40年代以降には全国、北海道では比較的少ないが関東以西から九州にて特に大繁殖するようになった。

11月頃まで開花している。河原や空き地などに群生し、高さは1 – 2.5m、良く肥えた土地では3.5 – 4m程度にもなる。

茎は、下の方ではほとんど枝分かれがなく、先の方で花を付ける枝を多数出す。

花期は秋で、濃黄色の小さな花を多く付ける。種子だけでなく地下茎でも増える。

外来生物法により要注意外来生物に指定されているほか、日本生態学会によって日本の侵略的外来種ワースト100にも選ばれている。

アレルギー

昭和40年代に、日本でセイタカアワダチソウは社会問題となった.

米減産の減反政策によって、休耕田となった土地に今まで見たことのない外来種の大きい草が突然いっぱい生えてきたという他に、当時は気管支喘息や花粉症の元凶だと誤解されていた。

セイタカアワダチソウは虫媒花で風媒花ではないので、花粉の生成量は少ない上に比較的重く、形状も風で飛ぶのには不適であるため、現在では無関係と考えられている。

同時期に増えた帰化植物のブタクサと違われ、花粉症の原因だと言われたのが原因と考えられる。

昭和40年代の繁殖は、休耕田の要素が大きい。

モグラやネズミが長年生息している領域で 肥料となる成分(主として米作由来の成分)が多量蓄積していた地下約50センチメートルの深さまで根を伸ばす生態であったので、そこにある養分を多量に取り込んだ結果背が高くなり大繁殖した。

平成に入る頃には蓄積されていた肥料成分を 大方使ってしまったことなどから、派手な繁殖が少なくなりつつあり、また背の高くないものが多くなっている。

また、天敵のグンバイやガ、ウドンコ病が 時を同じくして北米から日本に侵入し、それらへの抵抗性が低下していた日本個体群は 大打撃を受けてしまった。

相互交換

最近 アメリカ合衆国で日本のクズとススキが大繁殖を始めたとの記事を見た。

逆に千葉県船橋あるいは浦安の漁師がバカガイ(青柳),アサリが採れず、ホンビノスが採れると報道もされている。

そんなに相互交換しなくてもと考えてしまう。

ミドリガメ,ゼニガメ,クサガメなど川の片隅で見ていているとどうも混血と思われるカメが溢れる。

小川もメダカ,グッピー,カダヤシなど多種多彩と聞く。いつの間にかホームセンターの水槽コーナーで黒メダカ,赤メダカなど 怪しい名札を見ると・・・おっと!となる。

バスなど釣り人の勝手な思惑で広がり、バスも在来種の生存を脅かしている。

外来生物の増殖と人為的捕獲・・・世界がシームレスに繋がり出した時代を生物にも感じる。

セイタカアワダチソウ同様どこで落ち着くだろうが、在来種の絶滅は多彩,多様性を失うことを思うとイタイ。落ち着きを 人為的に作り出す活動が重要と思う。

12/4 花が枯れ種子を付けた状態

投稿者

おじさん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です