少し前 孫の写真がネット上の共有フォルダに アップされたとのメールがあり 巡回した。

孫が小さく機関車の横に写っていた。娘が撮ったのであろう・・・機関車と孫どちらを取ったのか判らないような写真であった。流石 我が子 センスが一歩だ!と思いつつ横がデカ過ぎるのか?

おじさんの子供の頃 見た懐かしのD51だと思った。ヘッドマーク番号にて急ぎ検索。岡山 新見機関区にあったものと分かった。多分・・・伯備線の「3重連」使用機関車かと思った。何度か近所の牛乳屋のおじさん 中村さんに連れられ、鉄橋の上を3台連なって走るD51の写真を撮りに行った。懐かしい思い出がこみ上がる。

3重連

3重連の走る姿 初めて見た時 迫力と重々しさに感動した。一台の蒸気機関車もいいけど 3重連の迫力を孫にも見せてやりたくなった。

そういえば橋脚が石作り・・・画像がないかと検索する YOUTBEに動画があり 昭和47年3月まで3重連があったとコメント欄にあった。そうかその当時・・・別のことに夢中であったのを思い出す・・・青春してた!・・・DATAネットにアゲていただきありがとうございます。

中村のおじさんの顔が浮かぶ。おばさんまでもなくなり 一人娘は結婚して近所にはいない。

DPE

白黒フィルムの現像,プリント,パネルの作成 中村のおじさんに教えてもらったことが フラッシュバックする。大学時代に研究で暗闇のなか ストロボで写真を撮り、自分で現像していた。フィルムを現像タンクのリールに巻き付け フィルムの増感操作 そしてプリント みんなおじさんに教えてもらったことだったと改めて思う。今さらながら 感謝!である。

人間との関係 会っていたその時は意識しないが こうして一枚の写真で思い出す。不思議なものである。

蒸気機関車と客車

蒸気機関車は おじさん小学生の頃は客車を引っ張たり、駅に付属する引き込み線で貨物の入れ替え作業をしていた。もちろん 何度か蒸気機関車の引く客車に乗ったことがある。宇野線にはトンネルがあり トンネルの中では窓を閉めないと、煙で社内が石炭臭くなる。という訳で 客車の窓がバタバタと前方から 乗客が立ち上がり 慌ただしく閉めるのを見たときは・・・・ある種の感動のようなものを覚えました。

高校に通う頃には ディーゼル機関車,電車になりました。今 思っても時代の流れは急激でした。

パクった言い方だと「昭和は遠くになりにけり」と言ったところです。

津山

投稿者

おじさん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です