何事も力いっぱいやればよいと思っている。「一生懸命」 鎌倉時代の武士が自分の所領を守るということで「一所懸命」とした語源であるとは知っている。

最近 NHK大河ドラマを見ていて、源頼朝の紆余曲折の生き方を見ていて色々感じる。歴史的には地頭の任命権をうまく利用しながら、個別的な坂東武者を統率する流れをドラマが見せている。おじさん 源頼朝の運の良さに感心しながら、ドラマを見ている。

人間 運を掴む為には動くことが基本と思っている。動くと運が向いて来るように感じている。「果報は寝て待て」というが寝ていては中々難しいように思うことが多い。

多分 子供の頃からやっていた釣りが、そう思わせているのかもしれない。最近はルアーフィッシングが普通となって来たが、おじさんが若い頃は餌釣りが主流であった。時合いが悪く、釣れない場合に誘いをかけ、餌を変え、ポイントを変え・・何とかしようと一生懸命 動き回る。結果良しの場合もあれば変わらぬこともある。

「果報は寝て待て」は受動的な場合などで 相手の動き・対応に従うしかない場合であり、自分の動きが相手を変える場合は、自らが動かないといけない。

その為「運動」という言葉について、運は動より生じると半ば思っている。動く人には運がめぐってくるチャンスが増えると思っている。

犬も歩けば棒に当たるともいいますが、まあ 動けば運が向いてくるというのは、分からないでもありません。動かなきゃ何も変わりません。

基本は 自ら動くことにより、運を見つけやすくなる。

チャレンジ

「チャレンジしなかった」という後悔は大きい。

機会を最大限に生かす行動をしなければ、運のいい人にも悪いことが起こるのだろうか? 実はそうだとも思う。「人は、やらなかったことを最も後悔する」という先人の言葉は真実と感じる。

以前 心理学の本を読んで、人びとは、失敗したことより行動を起こさなかったことを二倍後悔するということを読んだ。

普通 失敗を仕方なかった・どうしようもなかったとよく正当化すると言うか弁解する。だが 何も試みなかったことについては、理由を挙げられず 正当化できない。

さらに、歳を重ねていくにつれ、人は良いことだけ覚えていて、悪いことは忘れてしまう傾向にある。そんなわけで、単純に多くのことを経験すればするほど、年老いたときに幸福感が増し、口をついて出て来る武勇伝も増える。

運のいい人は、失敗について くよくよ悩まないと思う。悪い出来事の良い面を見て、そこから学ぶ。楽観的な理解バイアス・説明スタイルを持っているようである。

おじさん自身が運に恵まれぬタイプであり、人に恵まれたタイプと思うことが多い。

しかし 色々失敗しても、「さあ 次行こうか!」とする性格ではある。その為 運が良いタイプと同じような行動をしてたと思う。

まだ先は長いと不安が出て来る・・・澱んでも仕方がない。明日は 明日の風が吹く!

投稿者

おじさん

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