独身あるいは妻帯だけなら半年も暮らせる金額を持っていれば、チャレンジあるいは子供の頃からあこがれていた職業も転職可能である。もちろん奥さんの協力を得られなければ、仕事か?奥さんを諦めるかなどと、引っ込みのつかない状態になる。それでも話し合えば理解をしてもらえる可能性はゼロではない。奥さんを含み女性を説得するのは難しいが、何と出来れば希望が叶う。

ところが妻帯して子供までいると話は変わってくる。子供を育てる義務を考えだすと、転職についてはどうしても自身が「及び腰」となる。どうしてもトライしている最中はお金が入ってこないことが多く、経済的には無理がある。奥さんが太っ腹というか、主人がトライしている間は、「任せてちょうだい」という奥さんであればよいが、おじさんの友人・後輩を見ていると、そうでないことが多い。おじさん自身もそうであった。

サラリーマンからサラリーマンで転職するなら、給料が途切れないように注意するのが基本である。だが役員として、同業他社に転職していく場合は、1年は休職・無職期間を設けないと問題になる。この辺りで知っていることは別に後日書いてみたい。

サラリーマンでも「見るべき風景」「見ておくべき風景」がある。子供がサラリーマンとしてどのレベルまで見て来たかを聞いたことはない。今回書く主題はあくまで「独立」である。

基本的には人間は経営など管理部門を除けば、職種を一気に変更して、独立することは難しい。自分の周りで転職した方を見ていると傾向が分かってくる。人間一気に他業種に転職・独立することは冒険である。それ故 普段からの勉強が道を開く。なおおじさんの不動産業は 門前の小僧習わぬ経を読むと言うことの結果である。親の仕事を見て・聞いて来たので、独立するのに役立った。

従来したことのない仕事など、新しく始める場合は、ゆっくり食い込んでいくことが大事である。フランチャイズなどでは「誰でも出来ます」と唱えるが、実際は業界外からの参入は難しい。また バイトでもした経験がお有りならわかると思うが・・「誰でも出来る」は競争が厳しく、体力的にもキツイことが多い。

おじさんが設計を始めたのも、不動産をしながらゆっくりとした準備期間を取る工夫である。サラリーマン時代は 他人が書いた図面を見ながら、どうこう云うのと発注・監理が仕事であった。従って自身でアイデアを出して、図面を書いたことはなかった。

現在 仕事を卒業し年金を受け取れる状態になった。改めて定年後は独立開業のチャンスがあると分かる。生活する最低限のベースが年金で確保できるので、色気を出すことも可能である。・・ところが年金を貰い出すとサボり癖と、従前の仕事以外への関心が出て来る。人間とはかくも難儀なもの・移り気なものと思う。それに残された時間と健康を考えることも多い。残して奥さん・子供に迷惑かけるのも 本意ではない。

独立チャレンジするのは早い方が、もしかの場合も再チャレンジできるので良いと思う。しかし体力的に50歳が来ればお勧めしない。下手すれば睡眠5時間以下でぶっ通しで仕事をすることもあり、健康リスクが常に付きまとう。

そんな訳で 30代後半が経験上 独立適齢期とは思う。なお既存事業のエリア外、激変しているエリアであれば、若くして独立起業するのもありかと思う。

タイミング

おじさんの会社設立と同じ時期、同じ造船会社から設計の仕事を貰っていた会社があった。社長が強気な方で、設計部門から現場の仕事まで取って、一気に業績を伸ばした。設計のみであればCAD程度までで投資は終わるが、現場の現業に食い込めば、機工具・設備・人員数などのベースを拡大をしないといけない。

好況が何年も続き、資本・現金の蓄積が出来ればよいが、世の中そうも都合良いこともない。会社であれ個人事業でも、運転資金があれば、滅多なことで破綻しない。

おじさんの知人の会社は、一時的不況で仕事を絞られた結果、あえなく倒産した。

資本の蓄積・集積と拡大のタイミング これが会社経営安定の基本である。

最近 電力市場価格が高騰、新電力の撤退・契約停止が相次いでいる。余った電力の売買を許されるように制度が変わったが、弱小な資本では売買差益を吸収できず、売電での単価上昇を招くと同時に会社の運転資金を搾り取った結果と思う。世界情勢の変動が招いたこととは思うが、このようにタイミングに恵まれないこともある。

従来から自家発電設備を持っていれば、いくらか対応できるが、ペーパー上の差益に依存する場合は致し方ないことと思う。

おじさんのケース

おじさんは38歳で勤めていた会社を退職したが、その際 子供2人は小学校、一番下は奥さんのお腹の中であった。当時一家が2年以上暮らせる金額の貯金は持っていた。また失業給付で1年近く本給の8掛けが出る時代だったので、実質3年以上は暮らせる状態であった。それでも奥さんは反対し・・最後に生命保険を掛けても、迷惑を掛けないと言って強引に会社を辞めた。

おじさんの奥さんもおじさんがトライ中、子供も生まれたばかりがいたので、専業主婦を続けていた。その前後のことは子供にもわかると思う。今 素直に言えば 日々の生活を考え、仕事上の無理をして拡張することはしなかった。バブルの去った時期に会社を興したので、子供が大きくなったら会社をどうするべきか?引退後はどうするべきかなど 暇つぶしに考えることが出来た。

最初 伝手(つて)を頼んで、設計のアルバイトを始めた。その次は父が営業していた不動産屋を再開した。父が辞めてというか、父が亡くなり 1年間事務所を閉め、新たに始めることにした。2年ほど営業して、田舎の不動産では父同様、宅造などリスクを取らないと子供を育てるに十分と言えず、不動産への注力はそれなりとしてサボった。設計はある程度 造船会社・エンジニアリング会社から発注を頂けるようになり、日々努力すればよい状態となった。

そうなって 一気に貯金などは切り崩し、CADを増やし専業化していった。そして社名を変えて休業するまで25年以上となった。会社設立前から 不動産業も入れれば30年近い間 営業を続けることが出来た。

長く仕事できたのは諸先輩方の「賜りもの」「引き立て」であると思う。そしてよく足を引っ張られたが、家族の助けもあったからと思う。

最後に書いておくが、おじさん独立して万事自由に生きたとは思っていない。足らないと感じることが溢れる。多分 皆さんであっても同じ思いが巡って来ると思う。おじさん 反省しつつ、人間とは「欲深い生きもの」と改めて心に刻む。

投稿者

おじさん

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