道端で栗のイガが開いて栗が落ちていた。落ちてしまうとイノシシ他に食べられたり、虫などが侵入するため 早く回収しないといけないと・・・貧乏人は悲しい。
隣を見るとイガが4分割に割れて、中から堅い茶色果実3個 現れている。
ソロソロ 栗ご飯かなと思っていたら 昨夜出て来た。 季節のものは 美味しい。
名前と特徴
日本原産とされ 北海道西南部から本州、四国、九州の屋久島まで分布する。
落葉性高木で 日当たりの良い山地、丘陵などに自生する。ただし、現在では広く栽培されているため、自然分布との境目が判りにくい場合がある。
中華人民共和国東部と台湾でも栽培されている。
雌雄同株、雌雄異花で、6月を前後する頃に開花するクリの雄花の匂いは独特で、すこし精臭を帯びた青臭い生臭さを持つのがあり、香りも強く、あたり一帯に漂うクリはは虫媒花で、雄花の匂いをまき散らしてハエやハチのなかまの昆虫を呼び寄せて、他家の花粉を運ばせる。
一般に雌花は3個の子房を含み、受精した子房のみが肥大して果実となる。
和名クリの語源は諸説あり、食料として古くから栽培され、果実が黒褐色になるので「黒実(くろみ)」になり、これが転じて「クリ」と呼ばれるようになったという説。
樹皮や殻が栗色というところから樹名になったという説、クリとはそもそも石という意味で、実の硬い殻をクリと呼んだという説などがある。
野生種はヤマグリ(山栗)と呼ばれ、果実が小さいことからシバグリ(柴栗)とも呼ばれる。
旬
2日前 奥さん栗を知人から頂いたものの 皮むき,渋皮剥きと 大変そうであった。
ストレスが貯まるのか 文句を言ってくる。奥さん あなたが貰って来たので・・・知らないが本音である。
ばあ様が大変だと言いながら「季節のものなので・・・」と言う。まあこの当たりのキャッチボール横で聞いているには支障なし。
栗ご飯 何時かな? と思う。
そう言えば 子供がいるときは 我が家ではよく正月に向けてのトレーニングのような「栗きんとん」「黒豆」「田作」が何度も作られ、大みそかは・・・「よくできてます」で締めていた。
今年はコロナによる帰省状況に拠るかと思う。
天津甘栗
中国のシバグリが、甘栗(天津甘栗)として市販される栗である。
普段は 祭り屋台あるいは商店街の一角の店舗で買って食べていた。
ある時 知人の息子さんが商社に就職し、担当になったらしく パック詰めの焼きクリと袋を30セットほどお歳暮で送っていただいた。
温かい天津甘栗と違うがこれもありと言う味であった。この辺りから中国製農産物が溢れるようになってきたと思う。
モンブランとマロングラッセ
おじさんは半切りの和栗の甘露煮の乗ったケーキのモンブランが好きである。
どことなく和洋折衷を自然に許すようなお菓子である。
なお気取って甘露煮のクリではなくマロングラッセを載せているものもある。
名前の由来は アルプス山脈のモンブランであり、フランス語で「白い山」を意味する。
モンブランとは、クリなどを原料とするクリームを生地の上面に絞りかけたケーキである。
山の形に似せて作ったことからこう呼ばれる。上に降りかけられる白い粉砂糖は雪を表している。
生地はカップケーキ型のスポンジ生地やメレンゲ、タルト生地などで作った土台の上に生クリームをホイップしたものなどおしゃれと言えるものまである。
三内丸山遺跡
青森県八甲田山に連なる台地の縁に位置し、標高は約20m、集落のすぐ北側には沖館川が流れる。
三内丸山遺跡は今から約5500年前~4000年前の縄文時代前期中葉から中期末の集落跡である。
食料事情としては DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、縄文文化の食のイメージが変わった。
その他 掘立柱に栗の巨木を使っているなど生活に密接な植物であった。
花粉分析により、集落ができる前に広がっていたナラ類やブナの森は、居住が開始されると急激にクルミ属、さらにはクリ林にとってかわったことがわかっている。
これは集落ができる前の落葉広葉樹林を開拓してつくった人為的生態系である。
さらに そうして人為的に選別された堅果を、収穫しやすい集落の周辺に撒き、栽培するという術も会得していたのではないかと考えられている。
「桃栗3年 柿8年」と言われるから、最短3~4年のサイクルで次の選別・栽培が行われ、次第に現在のような大きくて甘い園芸種のクリが生まれてきたと推測される。
こんな話を聞くと 時代を超えた人の連携を見るようである。
究極 人は一人だけでは 大きな事を出来ないことを再認識する。
改めて 栗は美味しい。先祖に、農家の方に感謝である。