こうして自身が歳取って来ると、「老害」行為を意識もなくやっていないだろうなと不安を覚えることもある。老害の要因は普段の生活姿勢が 攻めから守りに入る為だろうとは想像していた。子供あるいは奥さんの意見を聞いていると以下のことらしいと分かるが、はて?と思わずにはいられない。
子供 あるいは奥さん が指摘してくるのは
■沸点が低い・怒りっぽい
■自分の価値観を押し付けてくる
■話が長い、くどい
と言う事に集約されるかなと思う。従って大したことは言っていないとしか思っていない。
言われても自分が 基本的にかくあるべきなどと自制 あるいは他人に強制する意思もないので こちらこそ当惑する。自分の価値観がベストで不変のものとは思っていないので、人に押し付ける気もサラサラない。
日本全体が貧乏からバブルに至り、上昇はしないが下降もしないような、ダラダラ ズーム的に人生を過ごしてきた。その為 出会ったケースごとに 多分これが正解あるいは間違いと区別だけはして来たと思っている。おじさんは 自らの戦略的生き方というか目標を持った生き方をするタイプなので、正解と間違いの区別を明確にして置くので、場当たり的考えをぶつけられても 返答に戸惑うことが多い。
多分こっちが正解なんだけど、話しても判らないだろうと思う事が多い。思いながら話すので、これが話がくどくなる原因とは思う。
また性格的に自尊感情が問題となることは無いと思っている。逆に奥さん他に感じる時が多い。
正直 老害は方策すべきこととは 半ば思っていない。
時代
大抵の場合には、頭の中を書き換えをしていない限り、自身の持つ価値観は時代にそぐわないものとなる。「昔はこうだった」「今の若者はダメだ」というのは常套句となる。
年配者として指導をしているつもりでも、時代に合わない価値観は、聞いている方からすれば、押し売りや支配しようとしているようにしか 感じられないようだとは意識している。実際に職場で後輩に対する自らの感覚を考えれば判ることである。もう子供も感じていることかと想像している。
そんな時は 「年寄りは時間を持て余しているのが、長くてくどい話の最大の原因です。とりとめのない話、同じ内容を繰り返す、時にはただ話したい、文句を言いたい時もあります」とでもお取りください。そして 軽く聞き流して頂いて良いかと思います。おじさんもそうして来ました。
弱年化
「老害」とは、自分が老いたことを認めず変わらぬまま行動することが原因で、多くの人に迷惑をかける人の行動を言うとすれば、30~40代でも老害と言えることも増える。
間違いを認められず、周囲とコミュニケーションが取れなかったり、能力や地位があるわけでないのに、偉そうにアドバイスなどを言ったりする。会社や上司に対して、陰ではネガティブな発言が多いのに、実際にはペコペコしたりする。
未来よりも過去の話が多い人も老害と言われますが、やってることは本当の老害と変わりありません。
方策
高齢化による機能低下などあり、自動車事故、会社での居座りなどがありますが、普通は職場などで物忘れとかミスをした場合 年寄りは楽です。
自分の都合のいい時には、高齢者であることを切り出せる都合の良さも 老害と言えるかも知れません。おじさん昔は使うこともなかったが・・・最近は「老い先 短い・」などと事前に「枕を詠む」ことがある。
お気楽に生きる手立てとして年齢を利用しない バカはまずいないと考えている。利用しないのは 人の世の流れに掉さすバカと思い、お互いタヌキとキツネの化かし合い。あたり前田のクッラカーなことと考え・思い、批判を言うのは無粋と見做して世渡りしてます。 どちら様も御免なさいよ ハイ!
混んだ道で 「すみません」と言いながら人を避けて進むのも、昔から・・・。なかなか 我がことながら改まりません。そう言えば、NHK大河の渋沢栄一翁も
四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧
六十、七十は働き盛り
九十になって迎えが来たら
百まで待てと追い返せ
先人・偉人も好きに生きている様で、おじさんも「あやかりたい」ものです。