おじさん石油精製所で働いたことがあるので、「工場萌え」で取り上げられる風景の中で仕事をしてきた経験がある。その為 見るほうの考えと、そこで働くものの考えの相違が分かるので常々 面白いと思ってきた。そこでネタバラシの様な事を書いていくのも良いかと思い書き始める。

外から見ると夜景は未来的なようだが 中は・・・イケてない。

夜目遠目笠の内(よめとおめかさのうち) 万事そんなものである。でも「夏の夜の阿波踊りの踊り子さん」 皆美人で大変よろしく いいものです。今年も阿波踊りは中止かな?

勤務の変遷

入社当初は東京都内で研修があったが、2週間ほどで 日本各地の事業所に 順次放り込まれ実習となった。

最初はガソリンスタンドにお邪魔して、直接お客様への給油などの仕事である。次は製品の輸送基地での入出荷。船からタンクに陸揚げ、タンクからローリー車に積み替え出荷する昼間の勤務であった。これが済むと製油所での3交代勤務となる。これが「工場萌え」の見られる側での勤務開始となった。

最初の配属先は「蒸留」と言う部門で、原油を蒸留してナフサ、ケロシン、ガスオイル、重油などに分けて行く最初の工程である。この後 減圧蒸留など分離精製工程が進んで行く。最終的に出荷するのはこれらをブレンドして作られる。

製油所の寮に入った後、何とか生活できる(準備するのは布団くらいだけで 後は寮内食堂・風呂あり)ようになれば勤務となる。バスに揺られ工場に付けば、ロッカー室で服を着替え工場内に入る。

当時は下着以外の作業服は洗濯籠に出しておけば 翌々日洗濯後ロッカーに入れてくれた。油が付着することもあるので 素人が洗っても落ちないので、助かった。

後年・・・理由は(多分 組合が負けたか会社の懐と思う)・・・判らないが 洗濯依頼が出来なくなった。その頃はこっそりサンプル残りのライトナフサでシミ取りして持ち帰り洗っていた。実質的 ドライクリーニングによる「しみ抜き」である。

乾燥と匂い飛ばしが間に合わず 交代勤務の何人かがやるので バスの中でナフサの匂いがすることも度々あった。

製造から出荷まで そんなこんなと部署を変えながら、入社より3年ほど製油所で働いた。その間 各種資格試験に上司などからの無言のプレッシャーを受けながら 取得していった。

工場のパトロール

夕方からの勤務になると、自動点灯するものを除いて 定期パトロール中に順次点灯していく。外から見ると見えないが、円筒形のタワーの足元にはポンプ・熱交換器他の機器が大量に設置されている。

ポンプ、熱交換器など 一台一台点検しながら廻る。順次高いところに上がっていき、最終的には円筒形のタワーの頂上までモンキーラダーと呼ばれる梯子を登っていく。夏の夜などは吹く風に涼みながら 周囲の夜景を楽しみ ひとときを過ごしたのを思い出す。

なお現在 タワーのような場所に登っていくのは・・・遠慮する。細いタワーでは 強風が吹けばタワー自体がゆらゆら揺れる。

炎・煙

フレアスタックと呼ばれる高所で燃やす設備があった。おじさんが入社したころはそこで燃やしていたが、炎が雲などに反射し近隣に迷惑を掛けると言うことで グランドスタックと呼ばれる地上付近で燃やす設備が出来た。燃やしているのはメタンガス・エタンガスなど貯蔵できない原油からの副産品である。

また油を流している配管の加温などの為 ボイラーからの蒸気(スチーム)を配管に巻くなどしている。蒸気の温度が下がるとスチームトラップが作動して凝縮した温水を自動的に排出する。その際は蒸気まで放出するので白い煙が立っている。またパトロールの時にトラップなどが問題なく作動しているか、バイパスバルブなどを操作しても同じように蒸気が噴出していく。

そう言えば春になり、定期点検の為 余分なガス・油を燃やしていたことを思い出す。そうなると一気に大量に燃やすので・・・近隣からのクレームに上司が対処していたのを思い出す。またおじさんの様な下っ端は フレアスタックの足元にある逆火防止の水封ドラムの水管理が面倒くさかった思い出がある。

今は昔の話である。ところが現在入社した時と同じようにガソリンスタンドでバイトしている。40年余りして元に帰って来たと思えばまた楽しい。

投稿者

おじさん

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