先日は「春はあけぼの」としたが、これも清少納言の繊細な優れた感性が感じ取れた。今回は童謡の『朧月夜』にうたわれた風景と同じような風景を見て、感じたままに・・・。

実際の花はブロッコリーである。これも菜の花の仲間なので黄色い花が咲く。最近は価格が折り合わないのか畑に放置されるブロッコリーも多くある。ブロッコリーから菜の花モドキに変化する。何時ものように軽トラで用事を済ませた後、帰路をショートカットしようと農道を横切ったため、童謡のような風景を見た。

この風景 間もなくトラクターが走り消えてしまう。今度はスイートコーンになるのかな?田舎の畑も目まぐるしく変わる日々の始まりとなる。

唱歌 朧月夜

唱歌であり 歌詞が古く最近は学校でも教えられないと思うので 最初の説明から始める。

夜の「霞(かすみ)」のことは「朧(おぼろ)」と呼びます。春の夜に浮かぶ霞んだ月は「朧月(おぼろづき)」と呼びます。朧月の夜が「朧月夜」で、童謡の『朧月夜』にうたわれた風景は、時を超えておじさんの年代は心に懐かしさを想い起こさせてくれます。

この歌の1番は、『菜の花畠に 入り日薄れ、見わたす山の端(は) 霞ふかし』から始まるように、すべてがぼんやりとかすんで見える「霞」の情景をもとに春の月夜を謳います。

2番では夕闇に包まれ、夜の「朧」の世界へと時間が流れる中、辺りの風景・風物などを挙げた上で、『さながら霞める 朧月夜』で締めくくります。

朝・昼・夕・夜と変幻する春霞の移ろう情景は、春の風物詩です。その趣を想い描きながら、春の訪れを穏やかに迎えたい・・・と言いたいところが、時代が許さない。度々「黄砂に吹かれて」で止まってしまう。

原因と結果のズレ

先日奥さんと話していて、彼女の話で原因と結果がズレているのを感じた。まあ人間 感性があるのが当然で 感じたまま生きていれば いくらかズレもぼんやりもする。「ニワトリが先か卵が先か」と言うことに近い。納得いく結論にたどり着くために 自然に人間の頭の中で自然に起きることと おじさんは了解している。奥さんに「一言」言ったところ・・・落ち着いた。奥さんがアホでなくて良かったと思うところである。でも過激に言われたものと思った。

これが仕事になるとそうはいかなくなる。ぼんやりとして 原因と結果のズレ特に逆転などが起きていれば致命的である。これにて仕事がなくなることもある。面倒でも常に結果に対して 原因を押さえる作業は欠かせない。ぼんやり何気に作業してしまうことに 防止策を常に考え、作業中は実践しないといけない。

朧月夜的に物を見ていることは「結婚する前は両目で見て 結婚したら片目で見て」の片目で見てることのようなものである。それが「人の生き方として自然」と改めて思う。春の風景に心が重なる。

投稿者

おじさん

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