おじさんは5年前から老眼の為か 小さい文字などが見にくくなり、メガネを使用しだした。度数は+1.00と最低で3年程経過している。常に明るい場所でモニターを見ているためか支障はない。但し光不足では一気に読めなくなる。設計をしていたので1日8時間以上モニター前で作業していたことを考えると良くこれまで持ってくれたと思う。老眼の遅れと進行の緩やかなこと ばあ様と父に感謝することかもしれない。多くの友人に比べて進行という点では遅いので この年までCAD仕事が出来た。
なおあまりに小さい文字(1mm程度)の文字は当然ルーペを使う。資料関係がこのサイズのフォントが多く、目をそらせればモニター画面 これで昨年末まで仕事出来たので、万年眼精疲労は抜けなかった。
仮性近視
子供の頃 黒板が見にくいと訴えたところ、眼科に連れていかれ 仮性近視と診断されて教室の席を黒板に近くに変えられた。眼科で仮性近視の直し方ガイドを貰い、親に見せた。その結果翌日から視力訓練となった。殆んど「遠方凝視」であったと記憶している。もちろん素直に治ってしまった。
父が目が悪くなれば眼鏡が必要となる。そうなれば眼鏡を無くしたり、割れる等あれば一気に「力」が落ちてしまうので 緊急時など万事間に合わなくなる。ソ連の捕虜となった際の体験から、性根を入れて直させられた。
その時 星を見ていたのが、後年の「星好き」になるキッカケでもあった。子供の頃からそんなことの多い人生だったので、良いこと悪いことは隣り合わせと思っている。
遠視
子供の頃 何とか仮性近視を脱却したがその後も訓練を続けた結果、遠視を疑われた。近視と成らないように 遠方凝視を続けるうち 視力検査表2.0の箇所が見えるようになった。これを読むと再検査に回され 眼科に連れて行かれた。その翌年も両眼裸眼で視力検査表に向き合った瞬間 読めたが、もちろん片目を閉じても読めたが「読めません」と答えた。小学校から中学までそれで済ませたが、高校生卒業の頃 2.0の箇所が読めなくなった。
以来3年前まで視力検査はしたことがなかった。なお老眼の視力検査で 乱視が出て来たようである。メガネを初めて作る時、乱視の修正レンズを入れたが、逆に見にくく再度レンズ交換した。それ以来 現在に至る。3年前には眼科医から 眼球内に濁りが無く良好と言われたがどうなったであろうか。そう言えばここ数年眼科医に行っていない。