20式小銃 制式化され 色々ネット上に上がり盛況そうなのでおじさんもと思い、古いネタを投稿する。大学3年生の時 名古屋の豊和工業で就職に向けた夏季実習に参加した。1か月半ほど火器部にて 色々教えられながら研修・実習を受けた。学校・教授推薦もあり、後年の青田刈りのような入社前提での実習であったので、火器部の色々な場所に出入りしながら教えられた。当時は64式小銃の生産時期でもあり、その基本設計あるいは生産技術など分解しながら、実際に撃ちながら 多岐に渡って教えられた。守秘するべきと思うことが多く、これまで人に話すことは殆んど無かった。
なお おじさん 何事にも興味深々・頭突っ込んでいく性格で、社風に合わないと思い 豊和工業に就職することは無く、燃料屋さんに就職した。火器の技術は経験的なことが多く また制式化のインターバルが長い。就職しても 生涯に一つのモデルしか設計出来ないような物足りなさが就職への障害となった。実際に89式小銃、20式小銃を考えると 当時の選択はあながち間違いなかったと思う。
今回書こうと思った切っ掛けは 20式小銃についての記事が「砲内・砲外弾道」など技術的火器の見方についてご存じではない方の意見が多いからである。同時に昔 豊和工業で教えていただいた内容は 古いことなので・・・時効・賞味切れと思い 書いても大丈夫と考えたからである。
20式小銃の内部構造などもまだ非公開のためとは思うが、外観と公表諸元で想像できることがあり、マニアならもう少し突っ込んで欲しいところと思う。20式小銃の銃身長さが短くなって、89式小銃と有効射程距離は変わらないことに意見が無い。あるいは夜間戦闘時の射撃位置を目だたなくするための銃先端の消炎器の形状は重要であるのだが意見もないなど他多数ある。
20式小銃は定評のある海外の部品を使い、コンパクトかつ低価格にまとめようとした結果であるのが おじさんの結論である。銃の小型化あるいは旧軍以来の3連射射撃の見直しとも取れる「89式の3連射セレクタ廃止」は機構の複雑さの排除 そして帯剣白兵戦など過去のものであり、近接戦闘での火器使用の思想が変わったと判断できる。
64式小銃
当時の豊和工業 生産工場の周囲は高さ4mほどあるフェンスで囲まれ、人の出入りは制限されていた。その一角に銃の保管庫があり、初めて64式小銃、89式小銃の原型(参照と言うべきか)となったアーマーライト社 AR-18とAR-15(M16 コルト米軍制式小銃原型)他多数を見た。最初から数日にわたり 小銃の分解・組立から始まり、実弾射撃にて各小銃の相違点等を具体的に教えられた。なお試射なども社内付属射撃場にてシームレスに体験出来た。
64式小銃は床尾板の整備用具入れに入っているプラスドライバー、ピンポンチで分解できた。逆に簡単に分解出来る構造などが部品の脱落を招きやすいことを生んだ。この小銃は自動連射出来るのでトラブル時に速やかに部品交換あるいは分解できるように主要部品の精度も10/1000以下に仕上げられていた。なお当時の機関銃などは更に厳しく3/1000程度の製作を実施していた。この工作精度と少量ロットがこの銃の製作費を押し上げた原因でもある。従って当時は珍しかったNC旋盤類が供えられ、精密機械用の恒温室があるなど 機械屋さんの工場としては非常にレベルが高かった。
64式小銃の特徴は 弾を銃身に押し込み閉鎖、撃針(げきしん)を叩き、発射後薬莢(やっきょう)を抜き出す遊底(ゆうてい)と呼ばれる部品が機関部で「落とし込む」ような動作をさせ、連発速度を落としていたことである。機構的に面白い構造であった。これは連射による銃の暴れ・ブレを防ぐ目的であったが、銃弾信管の感度によっては誤動作する恐れもあったようである。
64式小銃は戦後初の連射出来るアサルトライフルと開発された。7.62mmと口径が大きく、銃弾の炸薬量も多いので、発射の衝撃も大きかった。時代的に信頼性を考え、削り出し部品を多用した最後の銃である。次代は5.56mmと口径が小さくなり、板金部品・プラスチック部品を多用した89式小銃に移る。
おことわり
64式小銃、猟銃、試作銃その他の試射あるいは取扱いそして部品など細かい点・印象を書けば長くなると思う。同時にここまで書いて、何処まで書いて良いのかも迷い出した。ガイダンス的に書くよりも「なぜこの形に」なった理由を書いておくべきとも思った。先に遊底(ゆうてい)と呼ばれる部品の動きが発射弾数を減らし、連射による銃の暴れ・ブレを防ぐ目的で考えられたことと説明したようなことである。実弾射撃でもその効果が体感できた。おじさんが開発したわけではないが、開発者の方々から直接教えていただいたことを伝えるべきと考えた。
実弾射撃のこと、同時に見学させて頂いた他の開発そして64式・89式小銃のことなどは後日に書いてみたいと思う。多分当時のノートなどを確認して書くべきかと思ったからである。おじさんの研修していた時代に89式小銃の研究が始まっていた。あとは皆さんと同じである。銃に触らず発砲せず、約45年が過ぎた。実習当時は大型動物用のライフルまで撃たせて頂いたが、趣味などで猟銃を購入し 撃つこともなかった。
技術的なことは 豊和工業でしか見ることも聞くこともないことばかりで大変勉強になった。設計者は使う人間のことを知らないと最適なものは設計出来ない。設計を生業とするもの基本的考え方を教えていただいたことは、燃料屋を脱サラし、設計を始めた際 大変参考になった。一月半ほどの期間と出会いであったが、おじさんの生き方に大きな影響があった。今も出会った機会と人に感謝している。
申し訳ないが ここで一端筆を置きます。資料探してまた続編アップさせていただきます。