子供の頃から夏休みの宿題の定番は へちま,朝顔の観察である。夏も終わりが近づくと日除けの棚の下で大きく育ったヘチマの実を落とす。これを加工して繊維の網目だけとして 風呂場のスポンジ代わりなどに使う。種は次の年のため保管しておく。
日除けの棚を外すと へちまの根元に一升瓶を置き、へちまの元ツルを切って瓶の口に入れる。ゴミ除けにちり紙(今のティッシュ)を巻き付け へちま水を取る。
正岡子規
正岡子規は愛媛県松山市の出身であり、病気と闘いながら文学活動をおこなった。最後は東京の子規庵にて明治35年9月18日36歳でなくなった。「ヘチマ三句」と呼ばれるを死の数時間前に書付て残した。命日 9月19日を「糸瓜忌(へちまき)」と呼ぶ。
・糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし仏かな
・痰一斗(たんいっと)糸瓜の水も間に合はず
・をととひのへちまの水も取らざりき
おじさん「坂の上の雲」を読み 松山城他に行った。むろん正岡子規ゆかりの地も同様である。秋山真之との交流など書物にあるが ドラマに描かれた濃厚さの実態は分からない。だが町の区割りなどを見る限りはそうであろうと連想できた。なお記念館は道後にあるので時間があれば訪ねられると良いと思う。
雅号の子規とはホトトギスの異称である。結核を病み喀血した自身を、血を吐くまで鳴くといわれるホトトギスにたとえたものである
へちまの加工
子供の頃は繊維の網目のみとなったへちまを長いまま保存していた。使う際に適当に切って使っていた。
- 収穫したへちまを茶色くなるまで乾かす。
- 茶色くなったへちまの皮を手で剥く。
- 穴から手を突っ込んで 揉み洗いながら、種を取り出す。
- 皮をむいたへちまの中身を水に漬けて2,3日放置する。
- 実が腐敗したら取り出し、叩いたりして繊維だけにする。乾燥すれば出来上がる。
へちまを食べる
サラリーマン時代 鹿児島に出張した折 へちまと豚肉の炒め物を食べた。「へちま」と聞かなければ 記憶しなかったし 意識もしなかった。癖もなく普通であった。
確認のため検索したところクックパットに掲載されていた。
沖縄にもあるようです・・・日本は広い。