「男の顔は履歴書で、女の顔は請求書」という言葉がある。 誰の言葉かは知らないが、「男の顔にはそれまで生きてきた人生の経歴が、女の顔には美容等で費やしてきた費用金額が反映される」という意味らしい。ところが ブランド品や高級品で飾ってもそれに見合う中身がないと、逆に至らない自分の中身が際立ってしまうものだとも思う。おじさんはバブル時代の東京で暮らしたことがあるので自然にそんな状況をよく見て来た。また 近年は整形とその費用などの特集TVなどがあるので、それを見ながら 「ある程度は自分を美しく綺麗にすることはできるが、最後は人の内面が、その人の外見をつくる」ということも見えて来た。
そして年齢を重ねてくると、「その人が今までどうやって生きてきたのか」が、顔に現れてくる。それは化粧や服装ではごまかせないし、逆に化粧や服装で自分を必要以上に良く見せようとすると、内面の無さや至らなさがより一層際立つし、バランスが崩れて 周囲にバレてしまうということにも気が付いた。
女性が持って生まれたものと コストを掛けて作った容姿などを アッピールする手段として使えるのは30代半ばまでのような気がする。その後は人の内面が顔に出てくる。しかし もって生まれた顔の造形を超えると言うことまでは まだ感じたことはない。正直 肉体的に最も美しいのは20歳前後までであり、それ以降はしわなどが増え 重力に逆らえず・・その対策に追われて・・「やっとこさ」のことだと思う。
有名な話に リンカーンは「40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持て!」と ある人物の推薦依頼を断った際に返答したとの逸話がある。リンカーンによると、顔というのは親から与えられるものなのであるが、40歳を過ぎるころから経験の重みや、他人を受容する気持ちや、自分に対する確信が顔に現れてくるとのことである。従って40歳を過ぎてからは 出来上がった自分の顔に責任を持たなければならないということである。美醜は遺伝子に基づくことがあるため、自分ではどうすることも出来ない。一方で顔付きは 本人の普段の暮らしぶりとなど・・怒ってばかりとか、温和で笑顔を絶やさないなど、日々の生活を如実に反映しているため、顔付きとはその人の人格を表しているという意見である。まあ これもいくらかは理解できるが・・・話の筋立てから 断る時の知恵のようなものと おじさんは理解している。
おじさん自身は しかめっ面 怒った顔を余りせず、笑いながら穏やかに暮していけば・・顔はそれなりになれるかとは思っている。そして 女性に対しては 20代半ばまでは「女の顔は請求書」かもしれない。だがそれ以降は「女の顔も履歴書」となると思うことにした。
男性も女性も 年齢を重ねると
顔は人生の履歴書のようである