子供のアップしてくるアルバムに 孫たちの楽しむ姿を見ながら おじさんは楽しんでいる。おじさんは今日もばあ様と一緒にいるのと、バイトのシフト・自治会の総会準備で時間をナチュラルに浪費している。個人の楽しみは・・・先延ばし状態である。子供の出かけた先はそれぞれであり、京都に行ったのもいれば、嫁の実家などに出掛けてるのも有り、また近所で電車見学など 様々なようである。
おじさんも もうしばらくすると京都に行きたくなる。多分無理なんだが・・京都はシーズン最後まで色々な桜が咲くのが良い。枝垂桜・緑のおふく桜など交雑品種も多いので、桜の名残を楽しむのに絶好である。四国地元の桜が散った後も・・ゆっくり楽しむことが出来る。
ソメイヨシノ開花の報が聞こえるが 近所の早咲きの河津桜は満開状態である。花冷えの通り 春の気温は温かいようでどこか底冷えがするので、服装に迷い・熱いのか寒いのか分からないような状態になることもしばしばである。こんな時は 鉄瓶で沸かした茶を 時折再加熱しながら、温かい茶を啜るのが心地良い。最近は 70歳にして花粉症を発症したようで、外にいると自然に鼻水が流れだしそうになる。そんな訳で部屋の中から外を見ながら 霞む山を見る。昔なら冷で一杯の心地であるが・・ばあ様の救急事態の想定 あるいは近年の病気その他から飲むのは遠慮している。何事も順番で巡って来るものだから・・仕方がない。
こうやって老々生活していると おじさん・奥さんは老々生活は望むべくもない状態と思う。ばあ様はゆったりと年齢を過ごしているが、おじさん達の時代には 子供がサラリーマンとして生きて子供を育てるので同居などは望めない。おじさん自身が 子供がやりたいことをしながら生きていくのが良いと判断して、会社を畳んで子供の自由を選んだ。会社としては 大手の一次下請けの立場だったが・・時代が変わり 子供が子育ての時代になれば、どうなっているのか分からない。幸か不幸か どちらになっても 自分で選び決めた人生であれば納得がいく。
そんな訳で サラリーマンで退職された方々と同じ様に、おじさんと奥さんの将来は子供から独立して二人で年老いることになる。極力子供の世話にならず 年老いても生活しないといけない。そんな覚悟を持ちながら 多くの皆さんも暮らされていると推察している。 人が生きる際 一寸の先も分からないのが常識であり、ある意味 天命と捉える方が気楽である。努力しても 全てが報われることなど千に一つのことと思い、生きるのが正解である。おじさんはそう思い生きているので、本日も氏神様・お天道様に手を合わせて日々感謝しながら 暮らしている。