昨年から地元の墓地で墓の整理が進んでいる。墓仕舞ではないが墓石の整理である。昭和の中期以前には子供の死亡が多いので、お地蔵さんを模したような小さな墓が沢山ある。それらの墓石を一か所に集めたり、あるいは整理撤去して墓誌に追記変更したりしている。
また戦争に行かれて亡くなった方々の墓石は 逆に整理せずにそのまま移動して、通常の墓とまとめるなどしている。近所の方からは 出征したおじさんの墓なので・・そのままにと石屋から勧められたそうであるが・・・近所の方は 一緒にしたかったようである。
そんな事情で 最近は墓地に隙間がいろいろ出来たりしているので、墓地の側道を通るとおじさん家(ち)の墓が見える様になった。以前は手前に何台かの墓石があったが・・・見通せるようになった。これがもう少し進めば通路も広がり整理されたような墓地になるのだろうと思っている。
先日の無縁仏供養で墓地の世話人から、本年度は2区画新規購入があり墓石の建立準備中とのことであった。一区画は大阪の墓を仕舞いして、帰郷される方のものであると聞く。残された方のどうするのかは 様々であり、行動も一様では無い様である。最近 都会では公営墓地は期間契約で15年ほど経てば合葬墓とするので田舎に帰して来るのかもしれない。
実姉の所も子供二人は結婚して他家に嫁いでいる。また嫁ぎ先の義兄夫婦では 兄は大丈夫だが、奥さんはアルツハイマーが出ていると聞く。兄夫婦には他県で暮らして 子供も無いので将来についてはどうするかは決めていないらしい。実姉のところでも 色々あり先祖からの墓の取り扱いなども 決めかねているようである。その場になったら考えるが正直な話のようである。
父の弟であった叔父は 入り婿して他家を引き継いでいたが、一人息子であった従弟は 結婚後十年ほどで離婚して・・その子供(つまり孫)2人と奥さんは母子家庭として育ったとのこと。従弟は酒が過ぎたのか?早世し、更に数年後 叔父・叔母も続けて亡くなり・・家を継ぐものもなく・・その後は連絡がない。父の親戚筋には連絡があるようだが・・こちらも従姉が亡くなるなどしており、連絡役となるはずの叔母達も ばあ様より年上と・・万事アテにならない。こうして 人間関係も含めて、色々バラバラになっていくのだろうと思っている。その為 ひょっとして叔父・叔母・従弟も無縁仏になっているかも知れないと考えている。
どうも墓と言うのは残された者での考え・所業で、その役割・位置・立場などが決まるようである。本人が死んでしまえば、この世のことなど どうでも良いと言うのが当たっている。おじさん自身もそう思っている。昨日も 団子とご飯を仏壇にセットしたのだが・・仏壇屋さんによれば 今では張物・塗り物である仏壇材料が本物の欅板などソリッド材であり、オマケに中も金箔ではない金泥仏壇。彫刻細工からして江戸時代のものと聞いた・・仏壇は ヒイ爺さんの代から何度も引っ越ししてるのに、200年近くこうして家に継続して伝わっている。守り伝えるものが存在してこそ 存在出来るのが墓・仏壇であると感じてしまう。
「全ては子孫の心のままに」と思っている。