おじさん サラーリマン時代に油槽所建設などの工事現場で 地元の方々と席を設けた場合 「お車代」として 良く一万円渡していたのを思い出す。宴席の料理・酒は無償で出すのだが、ご足労を頂いたと感謝する場面 解散後の送迎タクシーに乗り込む直前に渡すのである。最低一万円が相場だったとの記憶がある。

 相手が五月蠅い方で クレーム話で来られても、日当という感性で三万円をお包みすれば、以降のトラブル時などでも 結構引き下がって頂けた記憶もある。今も昔も 働けば一日二万円程度 世間のお金に関する感覚が変わっていないのである。今年初頭 ご足労をかけたと挨拶されて、手土産とタクシー代を渡されて帰ったことがある。その金額も理由も具体的に書けないが・・以上の話しに準じる。

 おじさんが サラリーマン時代 饗応接待役をやらされていたのは40年ほど前だが、世間の相場が変わっていない様に思う。おじさんのサラリーマン時代の給料は順調に上がっていったが・・近年は 控除されるお金の比率がドンドン高まっているので 若い方での手取りが変わらないことが 変わらぬ金銭感覚・風潮を生んでいるようである。

 社会制度的にも おじさんがサラリーマンだった頃は 賞与から社会保険料を徴収されることはなかった。制度の変化がボーナスを貰えぬ自営業を始めた頃だったので、そう言えば・・との記憶があり、調べてみると 賞与から社会保険料が引かれ始めたのは1994年度から「特別保険料」という名目で始まりました。 その後、2003年度から「総報酬制」に移行し、賞与にも社会保険料が徴収されるようになりました。この変更は、社会保険料逃れを防ぐための措置として行われたと言われていますが・・普通に雇われてサラリーマンにしてみれば・・逃れる工夫自体を最初から出来ない。まさに「十・五・三・ピン(とごうさんぴん 税務署が把握している所得の捕捉率に関する業種間の不公平感を表す言葉です)」などの課税捕捉を表すような社会保険料天引きである。

 また介護保険制度自体も無かった。介護保険法が成立後 平成12年からスタート。翌年4月から、新たな公的介護保険制度がスタートすることになった。公的介護保険制度では65歳以上を「第1号被保険者」、40~64歳を「第2号被保険者」と区分します。第2号被保険者の場合、会社員であれば健康保険料と併せて給与から介護保険料を天引き、自営業のような国民健康保険に加入している方も国民健康保険料と併せて介護保険料を徴収されます。おじさんは65歳以上なので 介護保険料は健康保険と別に「介護保険料」と言う名目で請求されます。これで75歳までの負担が決まっています。現状では無くなる予定ですが・・社会の変化により分かりません。

 これじゃあ 若い子が手にするお金がなさ過ぎて気の毒である。お金を使って楽しんだ結果なら 多くの納得も得られるが・・最初からトホホではやるせない。財務官僚は給料の支給段階から 控除して先に確保している。お金を使ってくれないと消費税は取れないので税金が取れないので最初に引くから・・若いのにお金が渡らない。しかし 取引によって 税務署では消費税を預かった中小業者からは取りパグれる可能性は高くなる。要は税金は取り易い所から取る行動は一貫している。おじさん 自営してた頃 税務署の窓口で 隣から「預り金である消費税」と声高に話しているのを何度も聞いた! たまには 知人の奥さんが頭下げ下げ聞いていた。知人の会社は潰れたので・・消費税はどう回収したのだろうとは思っている。

 国にとっては 最も楽だが、庶民にとっては使って納める消費税の方が、パーと使って片時の憂さ晴らしも出来る。また 使わなければ・・・お金も残る。当たり前が世の中で起きにくくなっていると思っている。財務官僚都合にやられ過ぎですよ! 昨日書いた「所得控除の順番」が分からないかな?と思い補足する。手取りを増やすと言うなら・・・国民民主は もっと制度設計に突っ込め! その他 野党も同じです。

おじさんが若い頃のフォークシーンのようで・・懐かしい

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おじさん

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