タマネギ回りの草抜きを5日前にしたのだが、その後 雨が降り続き脇に置いた抜いた草は青いままである。今朝 雨が止んでいたので青々した草を引っ張ると、元気に根っこが再生したらしく 抵抗がある。枯れてない・・・!
時間の合間を見つけながら・・こまめにやっていたのだが・・無駄だったようである。もう少し抜いた草をレジ袋にでも入れるなどまとめて置けば良かったとの後悔が出てくる。いつもと同じようにやれば抜いた草が枯れていたのでそのままとしていた。何事も次の状況を考えることが必要と・・・たかが草抜き されど草抜き。やれやれ また草抜きとなる。
物事をキッチリすると言うのは難しい。どこかに落とし穴のごときものが必ずある。人間は習慣・癖があり、そこに成功体験が乗かってくるとそれ以上の事態を考えなくなる。10日前の晴れた日とは違うことが・・意識から抜けていた。
基本的にはフェイルセーフ。過ちをしてしまうのは当たり前、結果オーライであれば良いと考えることである。命取りとなるミスにならなければ良いと思っている。
人生の後半過ぎとなり 何かと自分自身で物事が処理できない・どうにもならなくなった時を想像する。ああ ストレスが貯まる。これが杞憂と言うものなのか・・年寄りは時間があるので碌なことしか考えない。
長生きリスク
アエラが元記事らしいが 「老後2千万円は本当に必要なのか? 長生きリスクにどう備える お金のプロが解説」のタイトルがついていた。
これだけを読んで 普段ばあ様と接するので、最初から長生きはリスクと判定するものなのか?と疑問しか思わなかった。最初に数行読んだだけで、当たり前のことを・・と呆れた。
「統計から導き出された数字であって、特に意味はありません。老後の生活資金は、現役時代の7がけ。派手な生活をしていた人が急に質素になることはなく、2千万円必要ない人もいれば、もっと必要な人もいます」最初で結論が出てしまって、後は自分で考えて計画してね!で終わってしまう。
おじさんが思っているのは 長生きのリスクは介護などで、世代を超えて継続していくことと持っている。年々 年金は減少し・介護保険は上がり このまま行けば 子供達の老後時代は多額の負担がのしかかってくる。そんな中で おじさん何とか子供に迷惑を掛けたくないと思っているが、日本の社会制度はチョット昔からのことを引きずっているので難しい。
例えば 生活保護を申請するのも、近親者・子供に扶養することが出来ないことを前提としている。国民年金のみの高齢者では、田舎暮らし持ち家で食料の自給自足が出来なければ・・資金的に難しい。どうしても子供に負担が回ってしまう。
おじさんは 幸いばあ様を看るのが具体化したのは65歳過ぎからとなった。そしておじさんが68歳まで大きく体を壊すことなく過ごせたこと・ばあ様が比較的衰えてないことは、運が良いと思っている。おじさんは恐らく先に逝くと思っているが、奥さんには ばあ様に近いようなタイムスケジュールであって貰いたいと思っている。子供の負担とならないことが大事である。
人によれば50歳手前で親が倒れ 厳しい境遇を送っているのもいる。親の介護費用を負担しつつ、子の大学進学などを支えている・・奥さんと2人で力を合わせて、頑張っているのを見る。子供は大体の就学期限が決まっているが・・親はそうもいかない。
おじさん家(ち)は ばあ様は無理出来ないが、ボケず元気なので在宅で暮らしている。奥さんの母も 杖を突きながらも同様である。このまま ばあ様の希望通り「ピンピンコロリ」といけば良いが・・痴呆などが出たり、寝たきりになれば 介護施設入所も考えないといけない。そうなれば 元農家 田畑売り払ってしまえば、安く売っても ばあ様100歳までの損失補填は大丈夫と思っている。もちろん不足する幾らかは おじさんの年金からお金を回すので、おじさんの命も心配になるが・・ばあ様が逝くまで・・逝けない。
だが問題はその後 おじさんと奥さんの終末である。さてどうなるか?神のみぞ知ることにするか?何か工夫を巡らさないと・・難しいことと思っている。年金で生活が立ち行かなくなれば、自宅を担保にお金を借りるモーゲージを使えば何とかなるとは思っている。
奥さんに家計への負担を求めないなど 20年以上前から将来を見越してのことをしていたが、おじさんの意思が通じているのか?いないのか?・・最終的には奥さんの身に降りかかることであるので・・半ば奥さんの勝手次第と思っている。どうなるか分からないが いずれにしろ本人の責任と思っている。
ばあ様もおじさんも希望する「高齢者のピンピンコロリ」は 確率で言うと5%程度しかないという記事を読んだ記憶がある。なにせ ピンピンコロリも難しいことは 周囲を見ていれば分かる。
20年近く買っていない宝くじでも買うしかないか?と年末ジャンボのCMを見ながら出来心が出て来てしまった。