一気呵成(いっきかせい)とは 文章を一気に書き上げること あるいは物事を大急ぎで成し遂げることとされます。

語源としては 一気呵成は「凍った筆に息をかけて温めて、その後一気に文章を書きあげる」という状況から生まれた言葉です。この「一気呵成」の出典元は 中国の書物「詩藪」(しそう)内篇です。

人生を 幾らか長くやると分かるのですが、仕事で「一気呵成・瞬間・瞬発」は自営デビューなどでは 最低限必要なことであり、いかに波に乗った時間を長く継続できるか否かが大事なことである。会社などは設立されて10年以上続けられるのは半分以下であることを見ても分かる。

一発ギャグだけでは芸人も長く続けることは出来ない。しかし一発ギャグあるいは定番ネタが無ければ、華がないようで・・いいぶし銀の浅草芸人のようになる。どこかで見たことあるという記憶が浮かぶが名前が出てこない。

古今亭志ん朝が36人抜き真打昇進、春風亭一之輔の21人抜き真打昇進など、一気の真打昇進を果たした噺家は多い。年功を重ね昇進することも多いが、年功重ねるだけではだめで、どこかで化けないと名人とはならないようである。噺家を見ていて真打となった後の精進でも結果が変わる。日々精進しないとレベルを維持できない。

千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希が入団前から豪速球を投げていたが、次第に基礎体力を充実させて安定した投球になってきた。才能のままに速球を投げられても、持続できなければ怖くない。最近は対戦相手も球数を投げさせるようにカットなどで粘ることが多い。これからが彼の力を本当の意味で精進して発揮する時代である。

ゴルフも同じである。飛ぶから他を圧倒する力を持ち得ることを知るべきである。スコアが良ければプロにはなれるが・・人を魅了するプロには中々なれない。

おじさんの個人的見解であるが、経験から言うと 評価などは人間の僅差の集積結果であるとは思っていない。集積していても結果は中々現れない。多くの方は焦り そこで潰れるようにも見受けられる。おじさんは川に設置する「堰(せき)」のように考えると良いと思っている。立場・個性などにより 一定の量が貯まらないと流れを調整・主導する機能を発揮出来ない。そんな風に考えるので、おじさん 若い方は効果・力を発揮できるのを待たないと思っている。一人一人で違うと 焦らないことが一番である。

人の才能は それぞれ大きく変わらないが、日々の努力と個性・環境で差が出てくるので時間が異なると思う。そのため自身は「ボチボチ」というようなスタンスで暮らすのが良い。

人間の集団 その中で目立ってくるには光るものがないと難しい。それ故 他に抜きんでたものを見せないと注目もされない。革新性というのだろうか?独自のものがないと一気には進めない。

仕事では「一気呵成・瞬間・瞬発」などは最低限必要なことであると書いたのだが、おじさんのいた業界では ひらめき・独創性などで注目されないと仕事は回ってこない。取引を重ね安定した品質・実績のあるところに仕事は流れる。また才能などを磨こうとしても、次から次と若いライバルが現れる。そのうち 馬群に沈み誰からも注目されなくなり忘れ去られる。

だが 馬群を抜けても最終まで持つかどうかは分からない。覚悟を決めてチャレンジするか、諦めるか人生選択の妙(みょう)と思っている。人生にチャレンジ出来るチャンスも多くはない。家族が増えれば・・どうしても判断に迷う。またチャレンジして順調そうになれば、第二の追従者も現れ、同業者からも裏で手を回すような人間も出てくる。

独立するのは中々難しいことは、覚悟することである。またおじさんの少し下の世代の言う、矢沢永吉の如く「成り上がる」という「右に倣え」的目標だと 心に余裕がなくなる。そのため 自分に合った生き方を模索するのが大事である。

気象予報士

おじさん 仕事を辞めた時 気象に関心があったので気象予報士の資格勉強をしようかと思ったが、資格勉強は辞めた。

本屋で資格関係の本を立ち読みして、これにチャレンジすべきは若いものが 成り上がるための資格に思えた。爺さんが知的好奇心で勉強するのは構わないが、仕事とかの収入などには関われない。業界で暮らした年数が全くないのではただの知識で終わる・・やはり「お天気お姉さん」あるいは「お天気キャスター」を目指す若者が挑むべきものと思った。

そんな訳で 資格本・ネットで気象について書いたものを 読むなどしているが、目標意識が稀薄なのと頭の老化で・・到底進まない。

歳をとるのは「ゆるく、長い闘い」となる確率が高い様である。また ボチボチ!となる。

投稿者

おじさん

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