人間完璧な状態を続けるのは難しい。偏差値を書きながら・・学業完璧であり性格も良く・・一種のあこがれしかなかった東大理三に行った同級生を思い出していた。現在は鬼籍にある。卒業後も大学の付属機関でガン研究をしていたが・・ご当人が脳腫瘍つまりガンで亡くなった。一家全員・親子が医者の家系であり、最後まで治療を受け続けたと聞いている。現在も子供が隣県の医学部を卒業して・・医者になっているとのことでした。
おじさんなどは若い頃、喫茶店の片隅でお茶しながら アホな友人達と一緒に少年ジャンプの「東大一直線」などを読んで・・・完璧ではなく、完璧とパーフェクトをあわせたような「パーペキ」っていう言葉をギャグとして言うだけが精一杯。それなりに生きていた。
あこがれていた同級生とのあまりに基準が違うポリシー・生き方を理解していたので・・ある程度の満足感と充実感で楽しく生きていければと思っていた。ある意味 今も続く「適当が一番」な生き方に目覚めて、社会人し始めた頃であった。
どのレベルで完璧さを確保するかは考えものであり、仕事は「ほどほど」・・と思うようになった。時間が腐るほどあれば良いが、仕事は学究・学問と違い時間を掛けられるものでもない。限られた時間と人を使い仕事をし、結果を出さなければいけない。サラリーマンとしては当然な変化である。
まあ 面倒な時間を生きて来たものだと感じるが・・今は隠居! それなりで良い。もとより最初のスタートは完璧を目指すのが基本ですが・・社会人では そこで留まっているだけではいけない。そんなところが、自身の身を守ります。
表面は完璧を目指して 無理しているように見せるのが基本です。野球で言えば 判断が一瞬遅れてスタート・捕球に入って、ダイビングキャッチでも 見た目はファインプレーぽくて良いということです。評価する方々が 全て一流とは限りません。正直 一流は一握りもいませんでした。
最後に こんなことを学生時代に覚えてはいけないのは、常識です。
上司
昔 口癖が「完璧」という上司に当たったことがある。何枚か始末書を取られたこともあり、 良い印象はない。下から見ていて ただの口癖と言うか、自分を納得させるためだけの「完璧」であった。今では 「彼が小心だった」と理解している。
つまり 自信がなくとも自分に掛け声かけて生きていたのだと・・誰でもそんなものだけど・・言わないよな!と思っている。
完璧を求めることはある種の弱点もあることを 頭に入れておかないといけない。おじさんは設計の仕事をしていたので、常に人間と設備などの関係を念頭に仕事をして来た。例えば階段の段の高さ、踏み込み代など完璧と言うことは 使う方々の身長・体重など身体能力・差により影響される。万人に向けること自体が難しい。学問的には人間工学と呼ばれる範疇が おじさんが仕事を始めて最初にぶつかった壁であった。ある人には完璧でも ある人には駄作となり得るのである。
普段の生活でも 完璧は思わぬ方が楽である。合格点を自ら決めてそこに到達していれば、自分を褒めれば良い。子供・部下の行動が 自分が思って・・合格点なら120%の出来と思うような生き方が楽である。
相手にも完璧を求めないことが楽に生きる生き方である。同様に自分に完璧さを求めすぎるのも・・ダメになるはじめである。上司として部下に指示して 指示された部下が思うように動いてくれることはまずない。どうするかは・・上司たるあなたの考え次第です。
部下が子供になっても同じようなものと思います。
完璧への思い「過剰適応」と言うことも内在するので、注意に越したことはありません。下手すりゃ「鬱(うつ)」を引き起こします。おじさんミスがあっても・・お金・権限も頂いてないと居直って、多少の落ちは「上司のお力を見せていただく」ように気を配っていました。自分が仕切らず、最後の手柄は上の方・お客様にが おじさんの基本スタンスでした。これでも生きて来れましたので・・まあ 無理をしないことが肝要です。