おじさん 正直に生きて来たかと問われれば、本当の意味で正直に生きて来たとは言えない。正直を微調整しながら生きて来た。変な言い方だが 皆さんもご理解いただけると思っている。

常に自分を騙しながら・・正直のエリアで 適当に生きて来たと思う。話・言い方などが嘘ではなく、現状あるいは結果と整合性が取れる範囲で発言したりした。嘘ではないが・・全部でもない。正直でもないが正直であるような生き方である。簡単に言えば 一種の営業トークをして来たようなものである。

人によっては「尾ひれ」を付けて拡大するような会話をする方も多い。子供の頃 修学旅行などのバスの中での「伝言ゲーム」と同じです。最後が来ると 大半がなんだそれとなってしまう。良い方向だけなら助かるが、悪い方に行けば「たち」が悪い。

それ故 SNSと言うのには参加しないようにしている。会話言葉をリレーしていくことと、いい悪いの2者選択的同意を付けるので、極端に走り出せば止まらない恐れがある。そんなことに巻き添えを食らう可能性があるので・・遠慮である。

仏法にも「方便」というものがある。同様に 所詮仮の世の・・・夢のまた夢など現実への評価は色々あって良いと思う。自分自身に正直であればそれで良い。

ブログ

ブログを書き出して、文法などにも考慮はする。しかし 如何に正確に伝えると言うより、相手が間違えにくい言葉・構文を使うべきなんじゃないかと思い出した。

同音異義語もあり 単純に句読点をうつより 分かち書きの様な書き方が錯読を防げるのではとも思う。

また1年以上書いて、日本語も微妙に変化していくことを体感する。時代の流れに伴う変化にもどう工夫すれば良いのかと思うこともある。

時事なことであれば、新しい情報そしておじさんの解釈などに誤りがあれば修正する。そして後記と修正内容を付記するようにした。

また日本語自体についても変化を感じるようになった。

例えば「全く(まったく)」と「全くもって(まったくもって)」のような場合「全くもって」は否定・肯定いずれも使うことが多い。だが「全く」は否定的なニアンスが強い。一度辞書で 調べるとご理解いただける。

そうなると「全く同意」ではなく「全くもって同意」と言う方が正しいというか?正確な使い方である。これらの作業どこまで行っても終わりそうもない。金田一先生の言語・辞書編纂など親子で続けている意味・意義も見えて来る。

更に「全く」を掘り返すと、語源は、「完全である」「完璧である」という意味の形容詞「まったい(全い)」。その連用形が副詞として使われ、「まったく(全く)」となった。続けていけばキリ無く深みに入っていく。

おじいさん 若い頃は趣くままに深みに嵌るアスペルガー的要素があるんで・・即ブレーキを踏んで来た。現在は 只の年寄りなので人生を楽しく、人に迷惑を掛けなければ 首を突っ込んで楽しむ。

歳を取るのもいいもんだ!

話をあらぬ方向に蹴ってしまった。まあ人生は 楽しい旅のようなものである。風の吹くまま流れるまま・・昨日書いた延長で書いてしまいました。

投稿者

おじさん

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