最近 朝起きれない。何度か目を覚ますが、頭が上がらずツイツイ惰眠をむさぼってしまう。寝ても疲れが取れないと言うのか?体力が落ちてるからであろうか?今朝も・・寝坊をやってしまった。
ゴミを出そうと動いているばあ様を手伝って、ゴミ袋を受け取って集積場まで運んでいく。わずかの距離を歩いていくだけなのに、刺してくるような光と熱に顔が下がって来る。集積場に行くと 先輩の公ちゃんが日陰でプラスチック製の清酒箱に座って見守っていた。何時もゴミの回収が終ると、ゴミをカバーしていたネットを畳んで片付けてくれている。公ちゃんは奥さんが少し前に亡くなり 一人暮らしである。だが近所の人間は知っているので、積極的に公ちゃんと話し掛けたりしている。お互いがなんとなく軽くカバーし合いながら 田舎のご近所では暮らしている。微妙な時間と人の距離感が、緩やかに流れ 了解されていることを忘れてはいけない。そして大事なことは「人は変わる」と言うことである。
人が集まる集団では いろいろ面白いことが自然発生する。人を動かすにしても正のやり方もあれば負のやり方もある。正負に分けたのは 人は普通お互いが協調することが良いと 通り一辺倒のような考えをするものがいるから生まれる。グループの中で顔に気持ちを出すような人間がいれば、そんな人間を怒らせないように配慮して行動して仕舞う人間がいる。そうなると 不機嫌な顔を 物事のイニシアティブの握り方に利用したりするものが出て来る。不機嫌な顔を見せて・・争いを好まず穏便にと生きる人の自然的譲歩を利用するのである。しかし このパターンで万事行けるかと言うと・・・相手が独立自尊と言うか?友がいなくても平気と言う輩などには通じない。それ故 福沢諭吉の如く生きてるタイプには通じない。そういう訳で この生き方では 色々なパターンを含む大集団のトップで組織を動かすことは無理である。しかし 小グループでは・・成立する。
プーチン・トランプは非常に西欧的な信賞必罰的態度で生きているが・・ここまで行くと王様にパワーと権限がないと先は長くない。上で取り扱ったのは日本人的協調性であり、プーチン・トランプでは日本では生きていくのは難しい。
おじさんなどは 典型的日本人であり、適当に田舎で生きてるだけなので、恨みを買わない生き方をすれば十分と思っている。別段何かの組織(自治会・同好会・老人会・・その他)のトップを目指すと言うような気持ちも無いので、約束を守る律義者として歳を取れば良いと定めて生きている。
先日同級生の1人から自治会会長になったと同窓会で聞いたのだが(これで地区・校区は違えど・・同級生の自治会長は都合3人になりました)・・今回の1人は小学校時代から級長などになったことのなかったと記憶していたので、実績を積んで 人からの評価を受けたと思い・・寿ぐと迄はいかないが・・話しをにこやかに聞いた。人は短期間で頭角を出してくるものから・・時間を掛けて出て来るものがいる。それがまた面白いと世間を見ている。
人はそれぞれ! 急ぐことはない