散歩で 久々な方にであった。ところが・・前と違い 老人カートを押して散歩されていたので少し違和感があった。前は腕をキッチリ振り まさにウオーキングと言う歩行だったので、その落差に驚いた。歳を取ると いかに肉体的弱点を増やさないかがテーマとなる。自然に肉体は衰えていくので如何に筋肉量を落とさないことも併せて重要になる。少し前に書いたズボンをはく際 たまによろける様になったことを書いたが・・主因は 足の筋肉量の減少と考えている。しかし 老いは短時間に人を変容させることを改めて認識した。

 アナライズ 日本語では「楽曲分析」と言います。 音楽を専門的に勉強する上では大切なんだろうなあと印象を持つくらいの方がほとんどだと思いますが、音楽を趣味にしている方でもアナリーゼ(アナライズ)を楽しむ。アナライズ(楽曲分析)とは「作曲の意図を読み取り、音の意味するところを理解する」という作業ですが、分析ができなければアレンジ(編曲)もアドリブ演奏も感覚のみでやることになり、頭打ちになり易い。老化対策にも この手法が使えると思っている。

 散歩は欠かさないが、衰えは確実にやって来てる。おじさん家(ち)は老々介護なので 自分の時間と言う完全に独立した時間はない。標準的には65歳で定年となり 健康寿命が怪しくなる70歳後半までが体が普通に動く65歳からの10年である。この期間に旅行・趣味など好きなことをやれる時期であるが、残念ながらおじさんはこの期間では無理なようである。何とか健康寿命を延ばし、肉体を若く支持しないと、自分の楽しい時間が短くなる。幸いにして白内障などの傾向もないので、衰えていく筋力を維持していければ良いと考えている。神様の決めることだろうから、上手く健康寿命を延ばして・・と考えている。なお ガンなどのリスク管理出来ない病気は仕方がないと思っている。

 昨日の昼は 片づけることがあり、昼の料理を手伝わなかったため ばあ様はイライラしていた。最近は材料を切るのは良いが、材料を一杯入れた鍋を持ち上げるのが無理とのことである・・手伝わなかったので困ったので・・腐るほど文句を言われた。体が思うように動かなくなったので・・手伝ってくれないと・・などと文句の連発である。最近はデイサービスでも最高齢となっているようで、同じ年だった方々はドンドン 鬼籍かケアハウス・病院送りになっているようである。

 正直 ばあ様を動かすようにして、本人も意識的に百マス計算(最近はサボり気味)・ラジオ体操番組などで動き、炊事・草抜きなどを行うので 状態をキープ出来ていると考えている。本日は文句を聞きながら・・・こうして動いてもらってるから いい状態をキープ出来ていると伝えた。先ずは 日々動くことが大事であり、お日様の下で日向ぼっこ三昧 そして草抜きして・・自然に遊び暮らせばよいと言っている。

 人それぞれに年齢を重ね方があるのは 色々見て来たので理解はしているが、自分が聞いていた道を確かめる段階に達してしまった。もう少し日々の過ごし方に余裕があれば良いのだが・・家庭菜園一つにしても、草を抜き作物を植え付け維持することも手間が掛かる。楽器を練習したいのだが・・独習しようにも時間と体が付いて行かない。もっと早く始めれば良かったとの後悔もあるが・・時間は長いからと考えてしまう。性格なのか? 何事にも緩さが抜けない。

 白骨の御文章が浄土真宗にはあり、葬儀の度に読まれる。この中で「後生の一大事」という言葉があり、「私が死んだらどうなるのか?」という問題が出される。 誰もが今日 自分が死んでしまうとは思っていない。 かなうならば 長く生き続けたいと思っているのが本心でしょうが・・蓮如上人は 早く気付いて解決(念仏)することが良いとされているようです。

 学校でも習った親鸞上人の有名な言葉を思い出してしまいました。

 善人なおもって往生を遂ぐ

      いわんや悪人をや

 人には順番がありますので・・・どうにか守りたいとは思っています。

投稿者

おじさん

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