朝から小雨がパラついているためか?気温が上昇しないので過ごしやすい。1月ぶりの雨であろうか。家庭菜園の作物の多くが枯れてしまって・・草ぼうぼうになり おじさんの管理不足も否めないが、日射病を考えれば手抜きも仕方ないと思っている。

 家庭菜園 上手くやってれば新鮮野菜が順調に入り、下手しなくても月に数万円分の野菜などが手に入る。ある意味生活費を稼いでくれるのだが・・ひとたび天候が狂うと駄目である。例えば 今年のスイカは4個がキッチリ収穫出来て、標準的な価格1個2000円としても8000円ほどは家計に貢献した。その後一気に暑さでやられたが、小玉スイカほどのスイカを5個収獲して 3個は大して甘くなかったが何とか食べることが出来た。トータルに言えば15000円ほどの収穫を 苗2本・肥料と資材を合わせて原価は1000円ほどであった。

 農業は片手間にやることは利益も上がり、安全な食品を手に入れることが出来る。ところがプロになるのは非常に難しい仕事である。自然に実るものを 工業的基準で大きさ・太さ・長さなどで管理すれば、途端にロスが多くなり仕事としては難しくなる。正直 曲がったキュウリでも 真っすぐなキュウリも味は大差ない。新鮮さが遥かに味に影響する。

 農業をしたいとの多くの方がいるようだが、農業経営するセンスがあるか否かで継続できるか否かが決まってくる。そんなに面倒くさく言わなくても 農業などを始めても一定の所得がなければ 家族である子供の夢などを応援することも難しい。自分と子供は別の人格である現実に悩まされる。子供の夢を助けてやれないことに悩む。しかしそこまで行かず その手前の自分自身の夢と現実のギャップで潰される方がさらに多い現実もある。

 今日のようにしっとりと大地を潤す様に降る雨が この1月降っていればと思ってしまう。昨日も枯れそうなサトイモの復活を信じて溝を掘り、水を貯めるように掛けていた。今日はサボっても大丈夫そうである。

 しかし 雨が降り気温の上昇が止まると、ばあ様などは緊張感のゆるみが出るのか? 朝の洗濯に際して文句を言っていた。「90も超えて何で・・・」と言うボヤキ話である。おじさんは ばあ様が出来る限り自分のことを出来るようにしてもらうのが良いと思っている。「上げ善 据え膳」と言う言葉があるが、自分は何もしなくても良いとなれば人間はダメになる。人は自身のことを行い、余裕があれば周囲を助けて生きることが大切である。

少しの変化が色々と考えるネタを作って見せてくれる。日照りの後 雨は降り方も大人しく「慈雨」と言うやつかも知れない。

大旱慈雨(たいかんじう)だねぇ! 

投稿者

おじさん

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