最近 家庭菜園内で 作業機よりも手で耕すことが多くなったためか、一円硬貨を拾うことが多くなった。拾う一円硬貨の大半は変色・腐食しており、後どうしようかと迷っている。それに拾った後ポケットに突っ込んでいるので、奥さんが洗濯の際取り出して TVの前には一円玉が並んでいた。毎度のことながら 奥さんが「一言」言ってくるのは常である。

 一円玉使うに使えず貯まる一方であるのだが・・もしかして 希少な一円であれば・・とのスケベな気持ちが出てくる。確か発行枚数の少なさから 平成の2X年代の未使用一円であれば 3000円を超える金額もあったはずだが・・あくまでも新品未使用と決まっている。これだけ錆びて変色したものではどうにもならない。暇なときにでも 歯磨き粉・クレンザーなどで磨くこともありかな?そんなことして社会の共有財産である以上は キッチリ社会に返すのが一番良いかと思っていた。

 近頃は 自分が蒔いた種を刈り取る責任を問われる雰囲気が希薄になってきたように思う。本当は1円を捨てた奴が責任を果たすべきであるが・・そうは言っても 証拠もないので実現できない。ここは年寄りの暇を使って社会に貢献するしかない。誰も知られず 社会に尽くすのも良しと思っている。なお 昨日昼に磨いた1円は神社のお賽銭として賽銭箱に入れた。また世の中で循環を始めた。

ニュース

 女子高校生がネットに上げた写真で加害者から因縁をつけられ、窮してしまった結果をニュースで聞いて驚いた。人間の怒りなどで 沸点が低すぎる人たちが溢れる社会になってしまったように思えた。

 おじさん 先月の真ん中が年金支給日なので 銀行に行ったのだが、昔からの顔見知りの行員が居るので話し込んでしまった。他の手続きもあったので 久々に窓口で座って会話していた。最近はバイトに行って適当にやってると話しすると、なぜ不動産屋をしないのか?と問われ、責任なくても 下手すりゃ恨まれる時代なので・・と答えたら 素直に納得していた。おじさん自身も歳を重ねるにつれ、社会全体に 大人にならないあるいは大人を止めたような方が増えてくのを感じている。その為 クレームと責任転嫁をし易い人間が社会に増えていくのを感じた。年取ってるので小さいミスは起こしやすいので、責任ある仕事は無理することはないと思っている。

 先日土下座させられたペットボトル回収コーナーのおばちゃんの話は書いたが、カスタマーハラスメントの時代を迎えた。現在は社会の寛容度が下がると同時に すぐ「理性の留め金」が外れるような若人と老人が溢れるようになってしまった。

 若者はSNSで小さいながらも 逃げれる場所・仲間を作り、老人も多くが他人と関わらないで年金だけである程度暮らせるので我儘になった。生きていくのに周囲の目配せ・配慮が不足しても支障がなくなり、身近な他者とのコミュニケーションがなくなっても大丈夫になったがため、見方・考え方が極端になり 他者への配慮が不足していると思っている。また住んでる世界が小さくなり過ぎ、反応が過剰に出やすくなっているとも思われる。

 最後に世間は豊かになり 昔から良く言っていた「一円に笑い・泣く」もあまり聞かない。しかし 詰めでは発生する可能性もないと否定できないので、肝に銘じるべき事柄である。常に謙虚に生きることが大事なことであると思っている。

投稿者

おじさん

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