風は強いが日差しも強い。雲の流れを見ていると冬の雲である。周囲が波状と言うか北斎の描く波の先端のような形も現れる。好きな冬雲が作る風景である。子供の頃 刈り取りの終った田んぼの真ん中で 凧揚げをしながら見上げてきた空模様・風景である。

 背中に強い風を感じながらも、何時間も高く上げて空と凧を見ていた。おじさん子供の頃から適当な性格で・・家から藁を柔らかくする木槌と小さい木杭を持って出かけ、田んぼに杭を打ち込み、それに力糸を巻き付けていた。友達がくれば 一緒に他のところに遊びに行き、凧は固定したそのまま。今でも何が楽しくて やっていたのだろうと思う事があるが・・明確な答えなどは分からない。

 小学生の低学年の頃は 既成の奴凧に新聞紙のしっぽを付けて走り回っていた。近所のじいさんに糸目を直して貰っていたのだが、このじいさんから小さい頃に凧作りを学んだ。学んだと言うより 横で好き勝手言いながら・・見ながら・・横で勝手に作り・直して貰う日々を送った。じいさんは作った凧を駄菓子屋で売り、小遣い稼ぎをしていた。

 そんな訳で 子供の頃から正月前が来ると 竹を削りひごを作り、外した障子紙を再利用して凧を作るなどして来た。もう少し詳しく書くと、当時でも座敷などの特別な部屋の障子は大判の障子紙が使われれていた。障子から外した紙を 近くの建具屋で貰ってきて材料にした。

 竹も子供の頃は壁の下地である「竹の木舞(こまい)」に使う竹を売る竹屋さんがあったのでそこから端材を貰って来ていた。孟宗竹を何等分にも割る道具で割ったものであり、何に使うと聞かれて凧を作ると言えば・・置いてあるのを指差しながら どれでも持って行けとなる 平和な時代であった。特に竹屋のおじさんとは田んぼが隣同士で顔なじみでもあったので・・普段から優遇されていたと思っている。

 そういえば ひごを薄くするために家にあったカンナも使い、刃をダメにしては近所の大工の兄ちゃんから教えてもらいながら研いだこともある。正しく書くと・・研いで貰っていたのだが・・おじさんが台所の包丁を砥石で研ぐスキルが身に付いた理由でもある。

 人生は 無駄が多い様で・・完全に無駄になることはあまりない。おじさんには 無駄のない人生は考えられない。老子の「無為自然」「無為の用」を考えることが大事と思っている。効率なんぞ くそくらえである。

材料

 おじさんが成長するにしたがって、凧の材料はドンドン変化した時代でもあった。大型の障子紙はロールを文具屋などで直ぐ買える様になり、近年ではホームセンターに行けば種類もさらに多い。

 接着剤もデンプン糊から木工用ボンドに変化していった。昔は障子用の糊は家で 冷ご飯を煮詰めて作っていたので 接着力も弱く、ビニール袋に入ったノリを手にしたときは驚いた。小学校6年の頃には木工用ボンドが大工さんなどでは使用されていたので、近所の大工さんから少し貰うなどしていた。木工用ボンドはデンプン糊と違い 乾くのも早く強度も高い。

 実際に作っていた時期は小学校時代までで、後は子供と遊ぶようになる40歳前後まで凧を作ることはなかった。

 一番下の子供に凧を作って見せてた頃は、市のゴミ回収袋つまりビニールを使い、竹ひごはホームセンターで90cm5本入りそして接着にはセロテープを使った。絵はマジックインキで自由に書かせていた。その為 凧作りは1時間も掛からなかった。

 角凧であれば 斜めに差し渡す竹ひごの長さが 5本入り市販品は標準90cmのため、それが製作する凧の大きさ制限となる。ビニールは通常の用紙の黄金比率に近いサイズにすればよい。竹ひごの配置の選択は左右の対称性を優先しながら選択する。凧は風を受けた時も 原則シンメトリーつまり対称性が大事である。これさえ守れば・・結構色々な形状とすることが出来る。竹ひごを曲げて確認しながら 竹ひごの配置を決めているのは、風を受けた際の曲がりを左右対称を作るためである。

この骨組みが基本形

上2人の子供は 冬休みの宿題として凧を持って行くことが多かった。その為 普通の角凧・立体凧まで毎年変えて作って飛ばした。飛ばないと飛ぶのか?と突っ込まれた時、子供が返答に窮すると考えていた。まさに 親の宿題であった。

糸目と呼ばれる凧に付ける糸のコツは、手に持つ力糸が凧の空力中心に集まるように結ぶことであるが・・こればっかりは凧揚げしながら 見せながら教えるしかない。理論的には 角凧では上下を3つに分割した上側の3分の1の点が空力(揚力)中心である。重心は中央にあるので、極端な話 左右のバランスが良ければ 上下2本あれば凧は支えられる。しかし凧の大きさ場合により、糸(紐)・凧の部分強度が不足するので、武者凧などは取付糸の数が多いだけである。また 見た目も「はったり」が効いて 何となく見栄えが良い。力糸手前の多重結び目は飾った時・・これまた 絵的にばえる。

 糸の取り付けでも 凧本体での糸目調整が早く出来るように結んだり、すぐに糸を足せるように力糸繋ぎの部分に工夫することなど子供に教えたが・・まだ覚えているかどうか?こういう伝承遊びは伝えたいと思うものの・・現代は時間が足りない・お互いが忙し過ぎて無理なようである。おじさん自身も親から教えられたわけでもなく、近所の爺さんから教えてもらったので・・状況はあまり変わっていないと思っている。

 最後に おじさんの子供は「じいさんは作った凧を駄菓子屋で売り、小遣い稼ぎをしていた」との一文で駄菓子屋の先代の爺さんと分かったと思う。今住んでる土地に引っ越す前は隣地に住んでいたので、おじさんは子供の頃から大きな顔をしてあがり込んでいた。また以前に書いた「小遣いを貯めて ゴム風船のクジ引きなどでの残り一括買い占め」など無茶を笑って許してくれた理由でもある。

投稿者

おじさん

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