一日一善と思い生活してないが 本日は信号機で待っている最中に、向こう側にいつも会う車いすを使用している知人がやって来た。信号機を抜けて駅前交差点までウオーキング予定であったが、信号を渡った直後「交差点横断のお手伝い」と言いながら車いすを押した。

信号を渡ったものの 背中に汗をかいているのを見て「もう少し押しますね」と伝えて「気の毒な」と言う言葉を「いえいえ 帰る途中ですから」と いつも曲がっているところまで押していった。この方とはスーパーあるいは散歩道で会うのと、押しボタン信号の交差点の道路横断で、同様のことをしばしば見るので手伝ったりする。

こちらも負荷を掛け運動不足カバーと思うので丁度良い。車いすは乗った方の体重の10分の1ほどの力で押せばよいので負担にはならないが、道路の荒れをもろに拾いアルミのフレームが揺れる。押しなれているが 大丈夫?と聞きながら歩くスピード調整はする。

以前はおばさんが車いすの後ろから 手押し車を押しながら仲良く散歩をされていたが、最近は おばさん(奥さん)を見ない。以前 「おばさんは?」と聞いて「足が痛いので出かけなくなった」と 聞いたきりで以降は聞いていない。今日車いすの後部にレジ袋が吊り下げられており、中に食料品が透けて見えたので、夫婦で老々介護状態と思われる。

以前から夫婦2人だけの生活であり、子供は大阪でサラリーマンをしている。孫は中学生になったので 昔ほどは帰って来ないと・・そんなことは聞いていた。

おじさんが 同じ町内に住んでいた叔父の名前を言うと知っていた。なお近所に住んでいた叔父・叔母は亡くなって15年以上なのだが、家の位置が150m程の距離に暮らしていると分かっている。

自宅に曲がる交差点で車いすを押すのを止めて見送った。この後どうするのと聞かれたのでいつものスーパーに入って買い物と答える。すると飲みものでもと小銭を出して渡そうとするので「孫に取っとき!」と答えて別れた。

情けは人の為ならず

おじさん 今日はお手伝い出来たが、少し先にはおじさんも助けて頂くようになるかもしれない。一寸先も分からないのが人生である。

しばらく前に「情けは人の為ならず」を「情けは人の為にならないので、情けを掛けない」との解釈をする方がいると聞いて驚いた。

「情けは人の為ならず」という言葉の意味を問われた際、「情けをかけるとその人のためにならない」といった解釈は誤りです。

多分「情け」は古語では「情愛」あるいは「功徳を施すこと」と捉えるべきである。また「ならず」は古語では「だけではない」 英語で言えば「not  only ○○  but also ○○」に近いニアンス「何々だけじゃなく 何々もです」のようなことです。

おじさんには 英語教師から「情けは人の為ならず」に類することわざを 英文で教えられたので、このことわざを英語の授業で覚えた。その際 やっぱり英語は日本語と感性が違うことを知った。

最後に正解は「他人に情けを掛けていれば いずれ自分もとに帰って来る」と解釈すべき言葉です。

まあ 誤用する方が半数弱いると言われますので、覚えたいことです。

投稿者

おじさん

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