おじさん「恋心と下心」という言葉が好きである。人の本質を分かる人が作った比喩と思う。これを分かるのは性的にそれなりに経験し熟してきた証拠である。人を思いメンタルだけで治まるのは子供の頃までである。大人になれば もの足りなさを感じ、自然じゃない あるいは自身に勇気がないように思う。素直に 心の声を聞けば・・大人であればご理解いただけると思っている。

聖人君子のように振舞われる方もいることも理解しているが、程があると思う。

人間の証明かな?とまで思う。万葉の昔の「歌垣(うたがき)」を考えればわかる。人間は心を隠し外面を取り付くろい過ぎると、心が弱くなると思っている。素直に生きることがベストであるが、現在では 誰もが社会生活する以上はそれなりに配慮・対応しながら生活している。過剰適応気味に生活してしまう。それ故 素直に生きるやり方をすれば問題の多くは軽く済ますことが出来る。

恋愛であれば、相手が迷惑と思わず ストーカー行為とならないなら、感じて思うまま好きと告白・・ダメと断られても納得して引き下がれば良いと思っている。

出たとこ勝負的で人生渡るのも面白い。調べ調べ過ぎて、考え考え過ぎて 実行出来ない奴を何人見たことかと・・仕事・結婚を含めて思い当たる顔が浮かぶ。

ゴルフでシャンクした球が コース際の松に当たって跳ね返り運が良くて、バーディチャンスもあれば、松に曲げられてOBもある。所詮 打って前に進んで、上がってなんぼがゴルフのスコアと思っている。狙った通りことが進むのは・・100に1,2が精一杯。生活するのも同じ様なものである。100%夢がかなう奴など見たことがない。

おじさんは 悪い結果・記憶を引きずることを恐れる。仕事も同様である。

おじさん失敗しても、自らに掛ける言葉の多くは「さあ 次いこか!」である。なお反省なしで「次いこか!」とやってはいけないのは当然である。

先ずは 恐れず進んでみての結果、失敗しても成功しても 反省すべきは反省である。大事なことだが いくら学歴があろうが出世出来ず、それなりの実行・実現力が無ければ、能力を発揮するチャンスも無くなる。

社会生活の規範を尊重そして優先し、すべて本能におもむくままに出来ない。しかし こと男女間の恋愛などは動物である以上 本能・衝動のままに生きることが楽である。おまけに仕事と違い、男と女の間には勝敗はない。どちらかと言えば、時間が経てば 大体男の負けが見えてくる。

人間は野生動物と違い、力・体力だけでは決まらない。知力他にもいろいろ要素があり、古来より「蓼食う虫も・・」との話もある。パートナーが見つかるまで頑張ることが大事である。

恋心と下心 矛盾があるようで、矛盾のないフレーズと、歳をとれば理解できる。人間は・・・所詮動物であり、荒ぶることを忘れては手に入れられるものも逃してしまう。

歳をとり荒ぶることも無くなって来るようで・・無くなって気付いているおじさんです。

歌垣

念のため歌垣について・・

歌垣(うたがき)は東南アジアから中国南部そして日本に古代からつながる風習である。何れも衆人環視のもとに若い男女が一対一で互いに求愛歌を掛け合いながら恋愛関係になるといった類型が多い。歌垣は未婚男女の求婚の場という性格が強く、集団での成年式に起源すると考えられている。個人的には集団お見合いと思っている。はにかみながらも 自然に声掛け・・恋の落ちるのは、人間の歴史に流れるものです。

最後に 何事を問わず、自然に生きるよう努めたいものです。

投稿者

おじさん

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