大量のコンテンツに囲まれていても、「これは保存して再度見るあるいは参照するなどの価値がある」と簡単に判断する方法の これと言った基準を決められない。多すぎるのである。強いて言えば、感覚的にピ!あるいはドキッとしたような直観しか判定基準はない。「保存」して再度読んでダメなら消せばよいと割り切ることである。判断基準は少し突っ込み不足と思うので、もう少し突っ込んで明日には書いてみたい。

そんな訳でというか? 昔から おじさんTVであれば 録画機能片っ端から使ってしまう。見ていると言うか流して見ているのだが、途中でダメと思えば番組終了後あるいは再度見てダメなら消せばよいと割り切っている。なお番組録画を中途で停止しないのは、参考に出来そうな一片・一言でもあった場合に備えるためである。

コンテンツを知的資産とするまでの努力は各個人の知的・処理能力に掛かっている。従って昇華させていく工程は各個人に任せて考えない。自身に合う方法で進めれば良い。

従って コンテンツを掴むまでなら説明して支障がないと思う。大事なことは 捕まえる範囲・かたちに拘ると・・直感・ひらめきが湧かなくなる。感性を鈍感にすることになる。

例的に話すと、おじさん昔から鳴門にある「びんびや」というドライブインのような海鮮料理屋さんによくお邪魔していた。最近は ばあ様がロングドライブに疲れるようなので行かなくなった。ここに行くとお品書きが多く壁などに貼られている。ここから何を選ぶべきか?自由に趣くままに注文して来た。そうすると自然と定番が決まってくる。そして季節などでどうアレンジするべきか自分の選択経験・キャリアがアップしてくる。

正直 奥さん子供を連れて行きだすと・・・余計な一品を注文しなくなる。経済的なこともあるが、女子供にゃ分からない感性を磨くような遊びが無くなったことは反省している。こんな場所には男同士あるいは一人で入るのが良い。

都会などでは昼から飲める食堂・町中華が多い。昼食後 仕事があるので酒はダメという場合もあるが、近場で昼食が取れない場合などには利用する。おつまみネタをご飯のおかずとして考え組み合わせる。そんな経験が即断即決・定型的にならず「感覚・パッション」なども含めて育てると思っている。また その結果の後悔なども・・スパイスとして良いものと思っている。

知的資産

知的資産と言うことを考えると、先日2年ぶりに会った方の話を思い出す。

現在 造船業はそれなりの船腹量となっているが・・造船一筋50年という多くの方々が請負仕事を続けている。その方も69歳となっているのだが、船舶設計会社の社長である。

現在 会社が契約している方は15人ほどになったと聞いた。皆さん仕事が出来るので、会社が解散することがあっても、造船会社の下請けに入っている会社の取引口座を使って仕事するでしょうと言っていた。話としては 死ぬまで現役宣言と受け取れた。

15人の中には 面識のある75歳の方もいる。能力あるいは仕事効率低下も想定できるので造船所側からのクレーム・コメントが出るかもしれない。クレーム・コメントが出れば肩を叩く辛いことも生まれる。船舶設計会社の社長から 一騎当千との高齢人材の話を聞きながら・・何となく「玉砕覚悟の突撃」と思えてしまった。

知的資産を持っていても、実現・実行できる体力・体制などが仕事には必要なので、如何なものと思えた。しかし 年金生活を知っているので・・批判も言えない。頑張れというほかない。

知的資産にも 限界がありますこと忘れてはいけません。「何時までもあると思うな・・親と金」と同じです。

返して おじさん自身は責任ある仕事もしておらず、口だけはまだ元気なので・・「お生」に生きて行こうと思っています。仕事であれば限界がありますが、個人単独なら 知的資産も賞味期限(限界)なしと思い、冷凍品の如く「レンチン」すればすぐ出せると思っています。

そんな訳で吉本風に・・・

 皆さま ごめんやっしゃ!

投稿者

おじさん

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