本日も寒波が緩んだとの気象予報だが、週末には再度来るとの報道である。毎朝 何もしないが家庭菜園を見回る。本日も霜柱が各所で出来ている。よく見ていると一様に盛り上がることなく、凸凹になっている。何時も思うことだが のっぺりとした一様と言うものは、あまり存在しない。どこか斑模様になって「ゆらぎ」があるのが自然である。

例えば工業製品であり造船などに使用される鋼板でも一様ではない。鋼板内部にラミネーションと呼ばれる割れ・不純物層・非金属介在物などが存在することがある。不純物などの欠陥が圧延過程で圧延方向に延ばされたものである。これが経年変化として 使用の際 応力集中などを引き起こし割れが拡大するなど強度低下の原因となる。この辺りが中国製鋼板などは安価であるが、昔 日本で使われなかった理由でもある。最近の造船ではコストダウンの為 ブロックを中国で作り組み立てている。中国製鋼板でも品質向上・信頼性が上がったのだろう。

また自動溶接などで接合加工された材料において、溶融した金属の冷却スピードなどで残留応力と呼ばれる力で変形を起こすことがある。これらを職人さんが取ってくれるので真っ直ぐになっているだけである。

曲がる癖を多少取っても、時間と共に癖が出て来る。おじさん 人間も同じと思い自身の内在する癖を意識し、行動することを心掛けている。癖を最初からつけないことが良いと思うので、基本に忠実で教え方の上手い指導者から教わるのが良いと思っている。

炙って お灸をすえて ひずみ取り

それから船などを見ていると、一度組み立てられると多少の癖も出て来ないようにも思える。人も 社会の一員あるいは家族の一員となれば、それなりに調和がとれ自立すると思っている。お互いの相互干渉がある意味良いと思える。孤独になれば・・色々問題が出て来るのも分かる。

親の因果

芝居などで 「親の因果が子に報い・・・」と言うセリフを聞くことがある。

親の因果が子に報う (おやのいんががこにむくう) と言う意味は「親の悪事・悪行の報いが子に及び、自身には罪がない子が苦しむこと」である。仏教教義(前世・因果は巡るなど)を前提にして「自分の努力では避けることのできない不幸な運命」について語る時に使われる。

おじさんは仏教的には考えることは、心の病を幾分抑えてくれるが、過ぎては自立性・独立性の不足の原因と半ば思っている。それゆえ「親の癖が子供の癖を呼んでしまう」と考え、子供に接して来た。例えば ゴミは必ずゴミ箱に入れる癖を親が持っていたなら、見ている子供は自然に同じことを行い易いと信じている。

従って 子供にとって親は 教師のようなあるいは反面教師のようでもあると思いながら‥ブログを書いている。

徒然草 52段にある「仁和寺にある法師」の一節。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」 意味は「何事にもその道の先生や指導者はいてほしいものである。」 ということである。何れの教師であっても良いと思いながらである。

それ故 本日も我儘にブログを書く

投稿者

おじさん

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