香川県の浄土真宗寺院では興正派が多い。勿論おじさんの家も興正派である。
本日「お香勤め(おこうつとめ)」で、印綬(いんじゅ 住職)さんが来られ、仏事を行いました。原則は 葬式・法事でもないので、赤いろうそくを灯します。全国的には報恩講と呼ばれるものです。11月が来ると お寺さんが来て、正信偈(しょうしんげ)を読経する。
浄土真宗の派により 正信偈などの読経の抑揚・節回し・南無阿弥陀仏のリフレイン回数などが異なる。本山は西本願寺脇にあり、通常は西本願寺の一派とされている。また印綬から聞いたところ、香川県では読経の仕方が、方言のような変化をしているとの話であった。
なお ばあ様によれば赤ろうそくは無くなるまで普通に使って良い様である。最近は短時間しか灯をともさず消すので・・いつまでも変わらない。
真言宗にも空海後に宗派を引き継ぎ、発展・布教された方への報恩講同様の儀式がある。知人の話では9月だったようです。いずれも 宗門中興の祖への感謝を基本には行う行事である。が・・今は普通の行事・経済活動に思えて来る。おじさん いささか罰当たりコメントしてしまう。
歴史
歴史的に見れば、日本の宗教は江戸時代には「旦那寺」制度により、徳川家康など天下人が恐れた一向一揆を防止するため、多くの宗派に分けられていった。キリスト教の禁止の対策 そして民衆の管理の観点から行われていった。次に変化が起きるのは明治初頭の廃仏毀釈とその後の鎮静化により分派などが起きている。興正派も正式には明治期からである。
おじさんの家の旦那寺は明治どころか江戸時代以前の創建である。町史などを見ていても創建は平安末期のようだが、現在の浄土真宗になった年代も分からない。寺社制度が整うのが江戸時代なのでその頃と思っている。
現在実施されているお香勤めの目的は、檀家の近況確認と寺院経営上の活動と思っている。
またおじさんの地区では墓地委員会なる自治的組織があり、墓地の区画を整理・販売している。その為お寺さんに墓がある方は お寺の近所に住む方のみである。お寺さんが菩提寺と言う要素は余りない。
さらに遡り伝えるなら、おじさんの家はひい爺さんの時代に現在の住所に引っ越して来た。お寺さんは ひい爺さんの前から同じ寺の檀家で変わっていない。ひい爺さん以前が暮らした地区は土葬であり、そこの古い墓はおじさんが子供の頃 父達が掘り返して遺骨を探したが見つからなかった。そんな訳で 現在の先祖累代の墓は その際掘り返した土を入れて建立した。その土もおじさんが20歳代に隣の墓地区画を譲らないといけなくなり、幾らか移動した際 容器から出して納骨室の中に振りまいた。
なお 子供が小さい頃 ひい爺さん時代の墓には連れて行ったが、子供に果たして記憶があるかどうかは不明である。なお未だに性根を抜いたとされる墓石基壇は残り、心柱の石柱は倒している。
ばあ様 それは勝手
お寺さんからの連絡は11時ということだったので、おじさん朝ブログをアップするため10時に帰る予定で、事務所に移動していた。勿論そう伝えていたのだが、10時に帰ると・・お香勤め終わったとのこと・・聞くとお寺に電話して 用事があるので早めにと言ったことが分かった。正直ボケるのも困るが、元気に張り切り連絡なしで 勝手に連絡というのも困る。
数日前に書いた「同居に伴う めんどくささ」の一端である。それ以上の事にはならないし、またそれ以下にならないようにするだけである。
人間何もなく過ごせれば・・と思いつつ、そんなことはないと分かるのが年寄りである。