昨日 近所で塀をはみ出した木を切らない家があるので、はみ出た木を切るのを手伝った。祭りも近く、台風が来るようなので「おっちゃんが手伝ってやるので切ろう」と声を掛けた。
前日 太鼓台の運営する若い衆の会長と道で出くわした。その際 お祝いなどの収受の古い記録の有無を聞かれた。同時にこの家の塀をはみ出した木の伐採について、若い衆が計画していることを聞かされた。
おじさんこの家の息子が若い衆の会長と歳も似ているので、上から目線的に彼らが話に行って伐ったのでは、不味いと判断した。そこで彼に「ちょっと待て、おっちゃんが話に行って伐るようにさせるから」と伝えた。
やはり同じ町内に住んでる以上は「自主的に処置して、個人では無理なことをお願いした」との形をとるべきと判断した。組織的に他の役員あるいは福祉関連の委員にお願いすれば、楽に作業も出来るが、それでは自主的な処置にならない。
という訳で・・・おじさん お節介という貧乏くじを引いた。
伐採
声を掛け、台風も近づいてきているので、今すぐ伐らないかと声を掛けた。直ぐ返事したのも気になっていたからに違いない。子供の頃から見ているので・・きっかけがあればなんとかなると思っていたが、この家の息子も性善な人間である。
剪定道具・はしごなどはおじさんが用意して、直ぐ伐り出した。
マキャベリ曰く「悪事は大胆になせ」悪事ではないが、止まれば別の考えが浮かぶのが人間である。個人的には 迷った時は行動を止め考えるが、人を巻き込んで、立ち止まらせたくない場合は一気にやってしまう。
道路にはみ出た部分を急ぐべきであるが、普段木を伐ったこともない人間に順番がどうこう言ってもキリがない。この家の息子さんには自由に手を付けてもらった。組織的に自治会役員などを呼んでしまうと、「そっちじゃなくてこっち」と言い出し、ある種の賢者が出てきて・・話が込みいることになる。
はしごを使わなくても良い部分を大体切ったので、足元の草を刈るため草刈機も更に用意して道路際を片づけた。ここからが息子さんへの声かけである。おじさんがはしごの足元を持ち、少し高い所を切ってもらいながら・・そして今度はおじさんがはしごに乗って、彼がはしごを支える。
そうこうやっている内に粗方片づいた。終わる頃には この木を伐りたかったと、自分で剪定のこを持ち出し、木の幹を切っていた。欲が出てくれば・・・おじさん 目的通りの満足な作業が出来た。
見栄えはどうあれ、息子さんの自主性を見たのは良いことだったと思う。
その後
久々にチェーンソー、トリマーなどの電動工具を使用しないで、木を刈ってしまった。でも電動工具は負担が少ない。剪定ばさみなどはガタが大きいので、刃の滑らせ方が一つで切れ味が変わってしまう。究極のところ、人も道具も使い方であると思う。
夕食時 奥さん&ばあ様から、自治会の人と協力して・・など好き勝手を言っていた。おじさんは若い衆のことと、息子の自主性を配慮したことを伝えて判断した理由を説明した。
あああ 女というやつは面倒な生き物であると素直に思ってしまった。多少のことで損だの得だの言っても仕方がない。
週末計画していた家庭菜園の草刈りが進まないが・・目的を達成した自己満足感はある。それでよい。