孫の写真を見ながら、ふと人はどんな時 成長するのだろうと思った。ベビーカー1台で出かけたらしく、下の孫が ベビーカーの横で当惑した様な顔で立っている。次の写真はお姉さんが ベビーカーで寝ている。こんな事態は、下の孫は初めて経験したのであろうか?
渋谷の女子中学生の事件も朝のワイドショーで、報道されていた。何が女子中学生を駆り立て、殺人の練習などと言う考えを持ってしまったのか?判断を誤らせたのか・・・おじさんには分からない。それ故 人が育つことについて考え込んでしまった。
子育ても終わり「他山の石」と半ば思いながら、人が育つと言うことは何がきっかけになるのだろうか・・改めて少し考えて見た。
逆境が人を育て、衝撃が決断を促す
古くから言われているように、逆境・苦労が人を育てることは、間違いない。
人は困難に出会い、それに立ち向かうことによって成長していくと思います。
温室育ちと言うか何もなく日々を暮らせれば、なかなか成長のきっかけは生まれません。
一方で 衝撃(ショック)を受けることで、人はようやく立ち上がることを決断します。
嫌な事、面倒な事、やりたくない事、いろいろな望まない事でも、それをやらなければ将来が開けない、そんな事をするには、大きなきっかけが必要です。その決断を促すのが、衝撃です。
衝撃つまりショックとほぼ同じですが・・ショックより少し重いと思い衝撃としました。
おじさん 10歳の頃に「○○しないといけない」と思った瞬間のことを、いまだにその情景を思い出すことがあります。単純なショックでは済まないようです。
なお おじさん性格的に固執しないあっさりタイプですから、そう考えているのかもしれません。人それぞれに 重いか軽いはあると思います。
死にたい
今回の子供も 「死にたい→死刑になりたい→人を殺す」の変化が起きています。おじさんなどは子供の頃にばあさんなどの臨終を見ているので、その時見た父の泣く姿を見て死んじゃいけない! 逆に死を恐れるようになった。
爺さんの葬儀の前に髭の伸びたのを剃ってやる光景を見ながら、誰もが本人の意識に関係なく、人間の肉体・大本は生きようとしている。心臓が止まっても末端まで生きるための生理を止めないことが分かった。
それ故 力の限り生きることが大切と教わったようで・・・。
今は多くの方が病院で亡くなり、大家族の中の「一人の死」を見ることも少なくなった。おじさんの父もガンでなくなったのだが、父本人から鎮痛剤と言うかモルヒネが効いて、死んでからの孫の立ち合いを求められた。苦しむ姿を見せたくなかったのだと思う。子供が幼かったので仕方がないことだと今も思う。
生きていく際に「死にたい」と思う瞬間は あるのは否定しないが、早めにそんな思いを断ち切ることが大切と思う。失敗は誰にでもあり、如何にうまくそんな場所から、離れることが大事である。
そんな場所でいれば・・・負の循環、碌な考えしか出なくなる。「死にたい→死刑になりたい→人を殺す」などに変化するのも当然かとも思う。
おじさんの座右の銘としている「観自在」は そんなことから決まったように思っている。